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2010年08月21日

最も記憶に残る夏の思い出(後編)


最も記憶に残る夏の思い出(後編)

いじめは、本人にとっては大変に悔しい事ですし、納得の出来ない、悲しい出来事でした。

何もしていない自分が分けもなく仲間はずれにされ、体罰を食わされるのですから。

小遣いを多く持っているとか、親が財産家だとか、著名な人だとか、少しでも友人たちの気持ちをなびかせる材料が存在すれば状況も変っていたかもしれませんね。

いじめたら、後が怖いとか、大変な事になるとか・・・・・

或いは私に腕力があったり、相手に恐怖心を煽るものでもあればそんな事は起こらなかったでしょうが。

でも、それが良かったんです。
何も抵抗できずに、小さくなって、おどおどするしか方法がない。
しかも彼らにとって存在の必要さえない私でしたから、また引きずり込む事もなかったのでしょう。

人生はどこに分岐点が存在するか知れないものです。

夏休み中盤から始まった「見返し」を目的として猛勉強は2学期になってとんでもない結果をもたらす事になったのです。

実は2学期の中間試験ではトップクラスに躍り出たのです。

そうなるとしめたもの。
彼らへの見返しのはずの勉強が、私の一番の楽しみになり、成績が上がることに最大の興味をそそる事になってしまいました。

そのうち、彼らの存在すら私からは見えなくなってしまいましたし、そんな私を見る彼らの目も完全に変ってしまいました。

もう手の出せる相手ではなくなってしまいました。

3年生では、完全にトップクラスの常連になってしまいます。

今では高校へ進学するのが当然になっていますが、当時は成績のいい者や普通の家庭の子供は高校へ進学していましたが私の様な不遇な環境の生徒は高校など夢の夢でした。

中学卒業で集団就職を考えていた私に当時の担任の先生から「君の成績ならトップで入学できるから、高校へ是非行きなさい。後の事は任しておきなさい」、こんな有難い言葉でした。

当時、生活保護を受け、母は入退院を繰り返す日々でしたから高校などいけるわけがなかったのです。

高校進学をしたり、家にテレビがあっても生活保護は打ち切られましたから。
父親がいれば事情も異なっていたのでしょうがね。

気持ちは既に就職に決まっていましたが、先生の勧めや廻りからの説得もあり、進学へと心は傾いていきました。

最終的には、先生が奨学資金で進学できる道と高校の夜学部の図書館司書というアルバイトを容認していただいたのでありました。

それもこれも、あの時の夏の思い出が始まりだったのです。

人生は何が禍し、何が幸せに続く道なのかは誰にも分かりませんが、どうも何事も真剣に捉え、後ろ向きの考えに惑わされない事のような気がします。
  


Posted by misterkei0918 at 12:50Comments(0)