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2010年08月13日

「子供達へ贈る言葉」のどうしても筆が動かない

「子供達へ贈る言葉」のどうしても筆が動かない

数ヶ月前から、どうしても「子供たちへ贈る言葉」を書きたくて、幾つかのタイトルだけは決めたのです。

どうも先にそれ以上進まないのです。

3,4日のシリーズにしたくて、準備はしたのですが。
多分、こんな気持ちが錯綜しているような気がするのです。

もう余生幾許もない人が書くような気がする。
(遠逝の言葉?)

書く前に、子供たちを正面から見据えて言葉として伝える事が大事であって、ブログなどというある意味不確かなものにこんな大事な事を諾すのは可笑しいような気がする。

公然とブログなどで、書くような事ではないのではないか。

一度、書いてしまうともっと伝えなくてはいけない事や大事な事が疎かになり、二番煎じになりはしないか。

もっと、真剣に考えるべきであって軽々しく纏めてはいけない。
もっと時間を掛けて、細心の限りを尽くすべき。
きっと纏めきれない部分が出てくる筈。

まだ早すぎる、そして勿体無い、
他人に見せることではないのでは?

今までのブログだって見ていないのに、本当に子供たちに伝わるの?
(ブログは本来、妻や子供たちは今は見てくれなくてもいいという思いで書いてきている筈?)



やらない理由を考える事を得意とする人間ですから私は。

とは言いながら、きっと近いうちに一挙に書き下すかもしれませんね。

私の性格からして、いつまでもうずうずするのは嫌いですし、今までもブログがそうであるように書き始めたら止まらないでしょうから。

子供は親を成長させる為に授かったような気がしないでもない、だって一番、親として相応しくない私であったのですから。

そんな事からいうと私が「子供に贈る言葉」などおこがましいかも知れませんね。


『夫を持ったり、子供を持ったりするたびに、人間の心の眼は開けてゆくものだよ。川端康成「結婚の眼」』


『子供に愚かだと信じさせると、一層愚かな行いをする。ジョンホルト』


『子供たちがのびやかにすくすく育つために必要なのは、理路整然としたルールや整備された環境ではなく、実は“誰かに世界一愛されている”という実感なのではなかろうか』


『世界で一番有能な教師よりも、分別のある平凡な父親によってこそ、子供は立派に教育される。ルソー(仏・思想家)』
  


Posted by misterkei0918 at 00:08Comments(0)