しーまブログ 日記/一般福岡県 ブログがホームページに!しーま新機能のお知らせ! さばくる~イベント情報受付中!~

2011年04月30日

愛を学ぶために孤独がある

愛を学ぶために孤独がある

平原綾香さんの楽曲「ジュピター」がテレビで流れていました。

興味のある女性ですし、唄も魅力的だし、何となく品格を感じます。
私だけでしょうか。

低音の素晴らしさや音域の広さも私どもを引きつけます。

歌詞の中に「愛を学ぶために孤独がある」という一節があります。

確かに、人は孤独を感じること自体がすでに人との交わり、愛の交歓の大切さを学んでいる証拠でもあり、人と人との係わりや煩わしさの中であっても人を愛する事を抜いては考えられないのが人生です。

私などはどちらかと言うと、孤独を楽しむと言うか、人との交わりがへたくそ、隅で小さくなっている方ですから、かと言って人との関係を否定している訳でもなく、極端に係わりを避けているのでもないのですが、こればかりは性格なのでしょうね。

人によっては、多くの人々との係わりの隙間を縫って孤独感を味わおうとする人もいますよね。

愛情の大切さや貴重さは誰でも理解できている事ですが、時には孤独を味わいながら、愛情のあり方について再認識するためにも確認する時間が必要なようです。

愛情は時として、豹変するものです。

「可愛さ余って憎さ百倍」などと言う事も、つぶさに全ての人々が経験する事でしょう。

時には冷静さを保ちながら、放たれた空間、時間の中で見つめなおしたり、充電したり、再構築したり、セット、リセットを繰り返す事も大切なようです。


『総じて、人は己に克つをもって成り、自らを愛するをもって敗る。西郷隆盛』


『自分自身を愛し、その愛を人々に分け与えよう。あなたが感じているすべての愛を、いますぐに。Dウェイトリー』


『純粋に愛することは、へだたりへの同意である。シモーヌベイユ(仏 思想家)』


『自分は愛されている、と思っている女はいつも魅力があるものだ。伊藤整「変容」』
  


Posted by misterkei0918 at 10:11Comments(0)

2011年04月27日

いい歳を重ねる

いい歳を重ねる

「いい歳のとり方をする」
「いい老人になる」
「いい歳を重ねる」とか言いますよね。

誰しもいずれは、歳をとっていきますし、老いを重ねるものです。

でも歳の重ね方があるような気がしませんか。
先輩達の中に、「ああ、いい歳をとられているな」と感じる方がおられます。
羨ましい限りですがどうも秘訣があるような気がするのです。

誰しもそのような風采にはなりませんし、同じように過ごせばなると言うような事でもなさそうです。

かと言って持って生れている事でもないようだし。

思うに、

いくつもの苦難を乗り越えてきている、
前向きに解決しようとする姿勢がある、
どんな事があっても笑顔を忘れない、
人に心痛を与えない、
穏やかな心理を保とうと勤める、
人に会う事を苦にしない、
苦難、心配を引きずらない、
家族を大切にする、
他利を優先し、自己犠牲の精神に富んでいる・・・・・

観察しているとそのように見えます。
難しい事ですが、修錬なんでしょう、
そうありたいと願う心が強いのでしょうね。


『ふつうは歳をとったとか、モーロクしたとか、あいつもだいぶボケたとかいうんだけど、そういう言葉の代わりに、「あいつもかなり老人力がついてきたな」というふうにいうのである。
そうすると何だか、歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい。赤瀬川原平「老人力」』


『四十歳は青年の老年期であり、五十歳は老年の青年期である。ビクトルユーゴー(仏小説家)』


『血気に老少ありて、志気に老少無し。佐藤一斎「言志四録」』


『青春とは、人生の一時期だけではない。
それは心の状態だ。
長く生きただけで老いる者はいない。
人は理想を放棄することによって老いるのだ。ダグラス マッカーサー』
  


Posted by misterkei0918 at 22:18Comments(0)

2011年04月25日

惹かれる?引かれる?

惹かれる?引かれる?

日本語は難しいですね。
つい疑問に思ってしまいました。

「惹かれる」と
「引かれる」

それとなく使っている言葉ですが、日本人の繊細な感情や表現性の豊かさがこのような漢字や言葉を作ってきたのでしょうね。

「惹かれる」は
ひきつける、ひきよせる、乱れる、
音符の「若」は、髪をふり乱し、神がかりになった人の象形。
心が乱れる、引きつける・・・・・
その意味から行くと、「若い」と言う事は一生懸命とか、自分を忘れてとか、恋愛や物事に神がかり的に真剣に身を賭して頑張る時期なのかもしれませんね。

と言う事は、激しく引かれる、心を奪われる、虜になる・・・・・
そういう時に使う言葉なのでしょか。

「引かれる」は、
魅力を感じるとか、何となく心引かれる、
そんなに強烈な印象ではありませんよね。

恋愛などのひかれるは、「惹かれる」なんでしょうね。
場合によっては、時として憎しみに変わったりもしますし、展開によっては生死に係わることだってあり得ますよね。

逆に、心奪われる状態や、虜にだってなってしまいます。

言葉や漢字は使い方によって千変万化するんですよね。
  


Posted by misterkei0918 at 12:01Comments(0)

2011年04月21日

肝臓に頑張って欲しい

肝臓に頑張って欲しい

先ほど、『「がんばろう」の言葉を使うのに躊躇は要らない』のタイトルでブログを書いていましたら掲題のような妙な事を思い出してしまいました。

滅多に健康診断などしない男が、家内など周辺からがんじがらめにされて健康診断を受ける羽目に。

健康には自信がありましたから、出てくる数値に驚嘆することなど想像もしなかった事でした。

或いは、人生長く苦労をしていると、何か少しくらいは可笑しい事もあるだろうくらいに鷹をくくっていた事も間違いありませんし、

或いは何かあっても大丈夫!!と自分に言い聞かせながらの健康診断でした。

従前から、腎臓に石がある事は分かっていました。
数年に一度、そうですね、3~5年位の周期でしょうか。
激痛に襲われますから、その覚悟は普段から備えているつもりで身構えているつもりです。

所謂、尿管結石です。

頭の出来が悪い事はありますが、それ以外は危惧する所はないと踏んでいたのですが。

いくつか問題点はありましたが、
その一つに肝臓機能を現わすγGTPの数値が高いのです。

決してお酒を繁く飲む訳でもありませんし、飲んでも深酒や二日酔いをする訳でもないのですが。

母親が全くお酒を飲めない体ですので、私自身もそうアルコールに強い体ではないのでしょうね。

お医者さんからの指導は、やはり運動と与えられた薬の処方を忘れないようにとの事でした。

真面目に指導に従っている時にはやはり数値が下がるのですが、油断は禁物、数値は正直なものです。

最近、怠っていましたら久しぶりの健康診断で再び数値が上がっていたのです。

体質的に肝臓の機能が余り良くないのでしょうね。

健康診断の結果としては、むしろこの肝機能よりも他の所が問題だと指摘をされる始末で、即刻内科医の先生の診断を受けるように指示をされているのですが、未だに実行に移していない事態。

心の中には、どうにかなると思っているんです。

一病息災ともいいますし。
そうでした、この言葉はちゃんと病気と真剣に向き合い人の話でした。

所が「経営者なるものは、その前にやるべき事はほかにある」などと変な理屈を捏ねて本来対峙するべき事を忘れようとしているものです。

でも、当分の間は「肝臓に頑張って欲しい」
  


Posted by misterkei0918 at 18:01Comments(0)

2011年04月21日

「がんばろう」の言葉を使うのに躊躇は要らない

「がんばろう」の言葉を使うのに躊躇は要らない

「がんばろうね」言葉ほど、人を励ます、勇気を授ける言葉は見当たらないように思えますが、最近、この言葉を使う事に躊躇してしまいます。

頑張ろうと言うと、「私はこれ以上頑張れません」
「今までも嫌と言うほど、頑張ってきました」などなど・・・・・

言葉の意味自体は語源的には、強い言葉ですが使い方は極めて優しく、相手を思いやればこその言葉であります。

それが証拠に、誰でも気軽に、心を込めて言える筈なんです。

この度の震災でも、人々のコメントを聞いていても「がんばってね」の言葉を発するのに明らかに躊躇している姿を見受けます。

命を投げ打つほどに、
体を壊すほどに、
心がへし折れるほどに、
頑張れと誰も言っている訳ではないのですが。

日常的に私どもが使っている「がんばってね」は素直な気持ちのほとばしりとして発せられている筈なんです。

本来は優しい言葉ですよね。

多分、この言葉に反発を感じる人は、優しい「がんばれ」コールを貰った事がないか、或いは頑張った事がない人か、素直でないか。

純粋に言葉を理解しようとする気持ちがあれば、相手の想いやる気持ちが伝わって来る筈です。

大いに使いましょうよ。
「がんばってね」

言葉の裏には、「私も一緒に頑張るよ」、「辛い気持を共有したい」そんな心遣いが隠れているものです。


『今自分にできること。頑張ればできそうなこと。そういうことを積み重ねていかないと、遠くの大きな目標は近づいてこない。イチロー(メジャーリーガー)』


『ただ一言言いたいのは、「頑張っている人」は、とてもかっこいい、ということ。
そういう人を見ると涙が出そうになるほど感動します。
「頑張ること」をみっともないと思わないでください。
「頑張ること」にテレないで、夢をつないでください。
コツコツ努力する姿は、かっこいいですよね。』

「がんばろうね」言葉ほど、人を励ます、勇気を授ける言葉は見当たらないように思えますが、最近、この言葉を使う事に躊躇してしまいます。

頑張ろうと言うと、「私はこれ以上頑張れません」
「今までも嫌と言うほど、頑張ってきました」などなど・・・・・

言葉の意味自体は語源的には、強い言葉ですが使い方は極めて優しく、相手を思いやればこその言葉であります。

それが証拠に、誰でも気軽に、心を込めて言える筈なんです。

この度の震災でも、人々のコメントを聞いていても「がんばってね」の言葉を発するのに明らかに躊躇している姿を見受けます。

命を投げ打つほどに、
体を壊すほどに、
心がへし折れるほどに、
頑張れと誰も言っている訳ではないのですが。

日常的に私どもが使っている「がんばってね」は素直な気持ちのほとばしりとして発せられている筈なんです。

本来は優しい言葉ですよね。

多分、この言葉に反発を感じる人は、優しい「がんばれ」コールを貰った事がないか、或いは頑張った事がない人か、素直でないか。

純粋に言葉を理解しようとする気持ちがあれば、相手の想いやる気持ちが伝わって来る筈です。

大いに使いましょうよ。
「がんばってね」

言葉の裏には、「私も一緒に頑張るよ」、「辛い気持を共有したい」そんな心遣いが隠れているものです。


『今自分にできること。頑張ればできそうなこと。そういうことを積み重ねていかないと、遠くの大きな目標は近づいてこない。イチロー(メジャーリーガー)』


『ただ一言言いたいのは、「頑張っている人」は、とてもかっこいい、ということ。
そういう人を見ると涙が出そうになるほど感動します。
「頑張ること」をみっともないと思わないでください。
「頑張ること」にテレないで、夢をつないでください。
コツコツ努力する姿は、かっこいいですよね。』
  


Posted by misterkei0918 at 17:04Comments(0)

2011年04月21日

「がんばろう」の言葉を使うのに躊躇は要らない

「がんばろう」の言葉を使うのに躊躇は要らない

「がんばろうね」言葉ほど、人を励ます、勇気を授ける言葉は見当たらないように思えますが、最近、この言葉を使う事に躊躇してしまいます。

頑張ろうと言うと、「私はこれ以上頑張れません」
「今までも嫌と言うほど、頑張ってきました」などなど・・・・・

言葉の意味自体は語源的には、強い言葉ですが使い方は極めて優しく、相手を思いやればこその言葉であります。

それが証拠に、誰でも気軽に、心を込めて言える筈なんです。

この度の震災でも、人々のコメントを聞いていても「がんばってね」の言葉を発するのに明らかに躊躇している姿を見受けます。

命を投げ打つほどに、
体を壊すほどに、
心がへし折れるほどに、
頑張れと誰も言っている訳ではないのですが。

日常的に私どもが使っている「がんばってね」は素直な気持ちのほとばしりとして発せられている筈なんです。

本来は優しい言葉ですよね。

多分、この言葉に反発を感じる人は、優しい「がんばれ」コールを貰った事がないか、或いは頑張った事がない人か、素直でないか。

純粋に言葉を理解しようとする気持ちがあれば、相手の想いやる気持ちが伝わって来る筈です。

大いに使いましょうよ。
「がんばってね」

言葉の裏には、「私も一緒に頑張るよ」、「辛い気持を共有したい」そんな心遣いが隠れているものです。


『今自分にできること。頑張ればできそうなこと。そういうことを積み重ねていかないと、遠くの大きな目標は近づいてこない。イチロー(メジャーリーガー)』


『ただ一言言いたいのは、「頑張っている人」は、とてもかっこいい、ということ。
そういう人を見ると涙が出そうになるほど感動します。
「頑張ること」をみっともないと思わないでください。
「頑張ること」にテレないで、夢をつないでください。
コツコツ努力する姿は、かっこいいですよね。』

「がんばろうね」言葉ほど、人を励ます、勇気を授ける言葉は見当たらないように思えますが、最近、この言葉を使う事に躊躇してしまいます。

頑張ろうと言うと、「私はこれ以上頑張れません」
「今までも嫌と言うほど、頑張ってきました」などなど・・・・・

言葉の意味自体は語源的には、強い言葉ですが使い方は極めて優しく、相手を思いやればこその言葉であります。

それが証拠に、誰でも気軽に、心を込めて言える筈なんです。

この度の震災でも、人々のコメントを聞いていても「がんばってね」の言葉を発するのに明らかに躊躇している姿を見受けます。

命を投げ打つほどに、
体を壊すほどに、
心がへし折れるほどに、
頑張れと誰も言っている訳ではないのですが。

日常的に私どもが使っている「がんばってね」は素直な気持ちのほとばしりとして発せられている筈なんです。

本来は優しい言葉ですよね。

多分、この言葉に反発を感じる人は、優しい「がんばれ」コールを貰った事がないか、或いは頑張った事がない人か、素直でないか。

純粋に言葉を理解しようとする気持ちがあれば、相手の想いやる気持ちが伝わって来る筈です。

大いに使いましょうよ。
「がんばってね」

言葉の裏には、「私も一緒に頑張るよ」、「辛い気持を共有したい」そんな心遣いが隠れているものです。


『今自分にできること。頑張ればできそうなこと。そういうことを積み重ねていかないと、遠くの大きな目標は近づいてこない。イチロー(メジャーリーガー)』


『ただ一言言いたいのは、「頑張っている人」は、とてもかっこいい、ということ。
そういう人を見ると涙が出そうになるほど感動します。
「頑張ること」をみっともないと思わないでください。
「頑張ること」にテレないで、夢をつないでください。
コツコツ努力する姿は、かっこいいですよね。』
  


Posted by misterkei0918 at 17:04Comments(0)

2011年04月20日

穏やかに穏やかに!!

穏やかに穏やかに!!

この度の震災で、当面先行きの見えない時期があるように思います。

ある時期と申し上げたのは、決して長続きはしないと踏んでいるからでもあります。

大変な被害によって、GDPもかなり押し下げられるでしょうし、何よりも被災地の経済が壊滅的な打撃を受けることで不透明になったからです。

また、精神的な衝撃もそうですよね。
なかなか以前の状態に気持ちが戻る事は時間を要する事でもありますし、人の気持ちはそんなに簡単に変わるものでもないからです。

でも日本人の過去がそうであるように決して悲観する材料ばかりではないとも考えています。

むしろ大きな被災をしたのではありますが、以前にも増して活力ある東北地方や日本が立ちあがって来る事は間違いありません。

隣の韓国でも例がない訳ではありませんよね。
通貨危機に見舞われて、IMFの管理下に置かれる状況が現実に置きましたが、確実に盛り返してきました。

この日本においては、もっともっと顕著な形でそれが現れてくる気がするのです。

日本人の特性である穏やかな心持で、時代に備える事が大事なように思います。

悲しい事態、苦しい事態ではありますがそれを乗り越えるには「穏やかに、穏やかに」の心を持ってこの一大事に備える事が大切でしょう。

この一大事を乗り越えた暁の東北地方は、社会資本の整備、企業の構造的変化、人々の心のあり方・・・・・
などなど若しかすると日本国内でも素晴らしい地域として目覚ましい発展をすると思うのです。

或いは世界でも冠たる社会の実現が可能ではないのでしょうか。

戦後、もう立ち直る事は不可能と言われるまでに打ちのめされた私どもの日本は見る見るうちに驚異的な発展を見せ、GDP世界第2位になるまでに復興を遂げたのであります。

いくつもの前例が証明するように、夢物語ではないようです。

頑張って、頑張って、支え合って、支え合って。
  


Posted by misterkei0918 at 14:49Comments(0)

2011年04月20日

穏やかに穏やかに!!

穏やかに穏やかに!!

この度の震災で、当面先行きの見えない時期があるように思います。

ある時期と申し上げたのは、決して長続きはしないと踏んでいるからでもあります。

大変な被害によって、GDPもかなり押し下げられるでしょうし、何よりも被災地の経済が壊滅的な打撃を受けることで不透明になったからです。

また、精神的な衝撃もそうですよね。
なかなか以前の状態に気持ちが戻る事は時間を要する事でもありますし、人の気持ちはそんなに簡単に変わるものでもないからです。

でも日本人の過去がそうであるように決して悲観する材料ばかりではないとも考えています。

むしろ大きな被災をしたのではありますが、以前にも増して活力ある東北地方や日本が立ちあがって来る事は間違いありません。

隣の韓国でも例がない訳ではありませんよね。
通貨危機に見舞われて、IMFの管理下に置かれる状況が現実に置きましたが、確実に盛り返してきました。

この日本においては、もっともっと顕著な形でそれが現れてくる気がするのです。

日本人の特性である穏やかな心持で、時代に備える事が大事なように思います。

悲しい事態、苦しい事態ではありますがそれを乗り越えるには「穏やかに、穏やかに」の心を持ってこの一大事に備える事が大切でしょう。

この一大事を乗り越えた暁の東北地方は、社会資本の整備、企業の構造的変化、人々の心のあり方・・・・・
などなど若しかすると日本国内でも素晴らしい地域として目覚ましい発展をすると思うのです。

或いは世界でも冠たる社会の実現が可能ではないのでしょうか。

戦後、もう立ち直る事は不可能と言われるまでに打ちのめされた私どもの日本は見る見るうちに驚異的な発展を見せ、GDP世界第2位になるまでに復興を遂げたのであります。

いくつもの前例が証明するように、夢物語ではないようです。

頑張って、頑張って、支え合って、支え合って。
  


Posted by misterkei0918 at 14:49Comments(0)

2011年04月18日

「今日の悲しみは明日の花咲くため」

「今日の悲しみは明日の花咲くため」

人生は確かに苦難の連続のようにも思えます。

多分、生涯を振り返っても苦労の大小はあっても

「一度も苦労なんてした事はない」、
「悲しい涙など流した事はない」、

「人との関係で悩んだ事は無い」、
「自分の心との葛藤などどんなものか知らない」等と

いうことはあり得ないでしょうし、

人はただ体の成長過程であっても、それだけでも葛藤を繰り返し、何処と無く泉のように苦難や悩みは湧き出るものです。

片方では人には希望であるとか夢であるとかを想像、連想させる力をも与えられてます。

また、立ち向かう勇気を奮い立たせる力が備わっており、喜びや感動の心も持ち合わせてます。

そう考えると、人生は上手くバランスが取れるように出来ているのかもしれませんね。

或いは、一人の人生でバランスが取れているのか、人間が寄り合ったところでバランスが取れるようになっているのかも。

私は余り幸せな人生は歩んでいないけど、片方では私の分まで幸せな人がいたりして。

ですが、私も歩んだ人生は長くもなりましたし、決して平坦ではない人生を歩んできたつもりですが何故かしらどうもバランスが取れているようにも感じ取れます。

また、人生ってそんなもんだと認識していないと悲嘆に暮れる日々ばかりで、つまらない希望の無い人生になってしまいます。

そうだとすると人間をやっているのが嫌になりますよね。

どうも、人には幸せを引き付ける秘訣がありそうです。

それを早く学んで実践する人ほど、早く幸せを掴みそうです。

誰の言葉か知りませんが、こんな言葉が見つかりました。


『朝顔は朝の光を受けて開く…のではありません。
24時間光を当てた蕾はついに開かなかったからです。

意外にも、夜の冷たさと闇の深さが開花に不可欠だったのです。

人間も、暗く悲しいことがあっても、それによって人生の色彩を作っているのかもしれません。

今日の悲しみは明日の花咲くためです。』
  


Posted by misterkei0918 at 16:56Comments(0)

2011年04月18日

「今日の悲しみは明日の花咲くため」

「今日の悲しみは明日の花咲くため」

人生は確かに苦難の連続のようにも思えます。

多分、生涯を振り返っても苦労の大小はあっても

「一度も苦労なんてした事はない」、
「悲しい涙など流した事はない」、

「人との関係で悩んだ事は無い」、
「自分の心との葛藤などどんなものか知らない」等と

いうことはあり得ないでしょうし、

人はただ体の成長過程であっても、それだけでも葛藤を繰り返し、何処と無く泉のように苦難や悩みは湧き出るものです。

片方では人には希望であるとか夢であるとかを想像、連想させる力をも与えられてます。

また、立ち向かう勇気を奮い立たせる力が備わっており、喜びや感動の心も持ち合わせてます。

そう考えると、人生は上手くバランスが取れるように出来ているのかもしれませんね。

或いは、一人の人生でバランスが取れているのか、人間が寄り合ったところでバランスが取れるようになっているのかも。

私は余り幸せな人生は歩んでいないけど、片方では私の分まで幸せな人がいたりして。

ですが、私も歩んだ人生は長くもなりましたし、決して平坦ではない人生を歩んできたつもりですが何故かしらどうもバランスが取れているようにも感じ取れます。

また、人生ってそんなもんだと認識していないと悲嘆に暮れる日々ばかりで、つまらない希望の無い人生になってしまいます。

そうだとすると人間をやっているのが嫌になりますよね。

どうも、人には幸せを引き付ける秘訣がありそうです。

それを早く学んで実践する人ほど、早く幸せを掴みそうです。

誰の言葉か知りませんが、こんな言葉が見つかりました。


『朝顔は朝の光を受けて開く…のではありません。
24時間光を当てた蕾はついに開かなかったからです。

意外にも、夜の冷たさと闇の深さが開花に不可欠だったのです。

人間も、暗く悲しいことがあっても、それによって人生の色彩を作っているのかもしれません。

今日の悲しみは明日の花咲くためです。』
  


Posted by misterkei0918 at 16:55Comments(0)

2011年04月16日

明日は我が身?

明日は我が身?

今回の震災は、唐突として襲いかかってきた災いでした。
実は日本の何処にあっても、世界中のどこかしら起きていた事に他ならないのです。

日本には昔から「災い転じて福と為す」という言葉がありました。
悲しみや苦しみを乗り越えて、新しい展開に心を砕きましょう。
やがては幸せも訪れますと言う事。

また「神様は乗り越えられない苦難は与えない」とも言います。
それにしても、極めて困難な苦しい悲しい現実を目の当たりにすることになってしまいました。

あまりにも過酷で、深刻な被害となってしまいました。

明日は我が身だったかもしれませんね。
それだから良かったと言う事ではなく、
それだからこそ明日に備える心構えが大切ですよね。

学ぶ事も際限なくあるような気もします。
経験をした方々、被災をされた人、行政、ボランティア、救済に当たった消防や自衛隊、米軍・・・・・

私は、今回の震災を乗り越えた暁には、東北地方や関東地方が素晴らしく立ち直り、日本の何処の地域よりも素晴らしい発展やインフラの整備、行政機関の整備、企業の活力や次代に即応した姿に生まれ変わるように思えます。

逆に考えると、そうでなかった地域は或いは取り残されることにもなってしまうのです。

今回の事で大変なご苦労をされる訳ですから、せめてそのようにあって欲しいものですね。

「明日は我が身」と言いますが、様々な苦難解決のノウハウは当然今後に生きてきますし、大いにリスク回避に役立つものと思います。

学ばせて頂く意味でも、周りの私どもが復興にお手伝いをするのは当たり前ですよね。
  


Posted by misterkei0918 at 15:45Comments(0)

2011年04月16日

毎日、お経をあげている心境

毎日、お経をあげている心境

毎日、ブログを書く意義を良く聞かれます。

「どうして毎日書くんですか?」
「良く続きますね」
「役に立ちますか?」
「多くの人が読んでくれますか?」

実は誰の為でもなく、誰に読んでもらいたいためでもないのです。
そういうと、
「読んでもらえ得ないとしたら、寂しいでしょう?。書く意味がないのでは?」などと言われます。

そりゃ、読んで頂ける方がいて共感していただいたり、反省して頂けたり、或いは反発して下さったりするとしたら望外の喜びではありますよね。

でも、それを望んではいないのです。

なぜなら、自分の為だから、
自分が一番得しているから。

毎日、お経をあげていると思えばいいと自分を納得させています。

続ける理由、
過去の自分への戒め、
そして大いなる反省。
これからへの勇気づけ、
そして励まし。

ただそれだけの理由なのです。

お読みになる方が、私と同じように感じて頂ければ本当に有難いと思っています。

人間は不思議なものです。
毎日唱えていると、それぞれが心の襞の中にしみこんでいくような気がするのです。

やはり続ける事が大事なんですよね。
「継続は力なり」と言いますから。

特に私のような気弱、ひ弱な人間にとっては後押しがあると元気が出るんです。
  


Posted by misterkei0918 at 10:55Comments(2)

2011年04月16日

今が普通

今が普通

人並み以上に優れている事も望みませんし、人並み以上に裕福であろうとも思いません。

普通に生活ができて、普通の食事が出来て、普段通りの生き方ができれば。

では、向上心や人以上に在りたいと言う欲望はないのかと言われれば「あります」と答える事になると思います。

個人としての心情はそうですよね。

でも、外に対しては競争心を露わにはしたくありませんし、偉ぶった態度や行動も慎まねばなりませんし、露骨な向上心も出したくはありません。

常に冷静で、落ち着いて、世間並み、それこそ普通の在り方でいいと思うのです。

今が普通、普通でいい・・・と

東北、関東の被災された方々にとっては、今の日常が普通ではない状態が続いています。
果たしていつまで、何処まで続くのか想像もできない状況に追い詰められています。

私どもが普通である事が、被災された方々にとっては現実ではないと言う事を知らなくてはいけません。

普通である事が、どんなに幸せで、有難いことなのか。

私どもは余りにも普通でないことを望みすぎてきているような気がします。
振り出しに立ち戻って、普通であると言う事がどういうことなのか改めて考えてみる必要がありそうですね。

普通である事は実は大変なことであることを。

貧しくても心豊かに助け合って生きる事、
生き馬の目を抜くような、人を押し抜けて我が幸せをだけ追い求めることと、

本来の人間の生き方は果たして何処にあるのでしょうか。

「今が普通」である事の幸せを改めて噛みしめたいものですね。
  


Posted by misterkei0918 at 10:27Comments(0)

2011年04月15日

人を好きになる

人を好きになる
   平成16年12月3日

人を好きになることが自分の人生をどれだけ、意義深く明るく豊かなものにするかは、色んな経験を踏んでみないとわからないもの。

人は様々なものを教えてもらえるし、示唆を授けてくれる。

言葉を交わさなくてもそれはしぐさや目つき、顔の表情、体の動き。

後姿でさえ物語を提供してくれる。
様々な経験や機会を重ねる中で他人から教わる事の多さや自分の知識の浅さ、常識のなさを痛感することも多い。

時には聞きたくない苦言もあり、誹謗や中傷がないでもない。

根拠の無いものもあり煙の無いところに立った火もある。

憤りを感じないでもないがそれも時間が解決したり自分の日頃の行いや姿で本来の自分を改めて評価してもらえる事がほとんど。

逆に雨降って地固まるの如く以前にもまして人間関係が深まったり信頼度が高まったりする事が多い。

苦言は謙虚に受け止めて又一歩前進するために刺激をもらったと思えば腹も立たないし有難い事として受け止められる。

だから、私は人が好きである。

人々は知識の宝庫であり、智恵の塊であり、英知を授けてもらい、明日への勇気を与えてくれる。

私のように対人恐怖を持っていた人間にとっては尚更の事、多くの人に会うことがその恐怖から救われる唯一の処方箋だったのである。

私の辛い経験から行くと人間は人間によって救われるように出来ており、元来、人は人間好きに出来ているようにも、思われる。

これからも多くの人々を好きになり、自分の活力源として積極的に飛び込んで行こうと思っている。

相手に嫌がられない程度に!!。
  


Posted by misterkei0918 at 15:01Comments(0)

2011年04月15日

幸せを運ぶ鳥

幸せを運ぶ鳥
   平成16年12月2日

色んな付き合いが深まってくると、この方は明るさや笑い、集団としてのまとまりをもたらしてくれる人なんだなという人がいる。

その人がいるだけで周りの雰囲気がやわらかくなり活気がみなぎり話し合いもスムースで顔もほころび笑いが耐えない。

前向き、ポジティブで人の意見にも耳を傾け、自分も胸襟を開き難しい議論をしない。

家庭にあっても表情が柔らかく、ウィットやユーモアに長け常に笑いを誘う事を忘れない。

困難に立ち向かっても心の余裕やゆとりを無くさず、相手の立場に立って物事の判断をし自己主張にばかり走らず常に寛容の気持ちを大事にし、微笑みを忘れない。

一旦緩急あるときは自らの事を優先せず、相手を優位な立場に持っていく物事の判断をし、結論を急がない。

そんな人の周りには幸せに満ち足りた雰囲気が漂う。

私はそんな人を「幸せを運ぶ鳥」と称したい。

そんな人との係わりは私の人生までも豊かなものとしてくれるし、心の中にも一筋の光を差し込んでくれる。

そんな人とめぐり合うには多くの機会を作ることと自分の心を開いてその機会を大事にする事のように思われます。

そして自分自身を幸せにしたい、希望に満ちた自分にしたいという願望を常に持ち続ける事でしょうか。

人を幸せにしてあげたいという気持ちが結局は自分を幸せにする近道かも。

とは言っても厳しい現実を目の当たりにしているとそうたやすい事ではないでしょうが。

自分の田んぼに水を引く前に、隣の田んぼに水をたっぷり蓄えてあげる努力が結局は回りまわって「我田引水」になるのかも。

幸せの女神もその前髪を積極的に掴もう障ろうとする人にしか幸せはもたらさないようですから。
  


Posted by misterkei0918 at 08:38Comments(0)

2011年04月15日

再び会えるときのために

再び会えるときのために
   平成16年10月12日

人にはいつ別れが訪れるとも知れません。

今の私が、今のあなたが明日の命がわかっていれば今日のあり方ももっと真剣なものなのかもしれません。

神様は私たちの明日は誰にもわからないように定められたのです。
ただ死ぬこと以外は。

だから、全ての人々が何事もなかったように今日を過ごし明日を迎えるのでしょう。

明日又再び会えるとしたら出来れば笑顔で会いたいものです。

今日は議論の相手であっても明日会える時は、笑顔でちゃんと挨拶の出来る間柄でありたいものです。

人間の関係はそのようにして深まっていくものなのでしょう。

決して他人行儀ではなく、解り合っている間であればこそ憎まれ口を叩いてみたり、上げへつらって見たり。

再び会える時のために今日こそ貴重な時はないのかもしれません。


  「人間関係はこちらの出方次第。あたかも鏡の前に立つようなもの。
   こちらが笑えば向こうも笑う。こちらがしかめ面をすれば相手も渋面になる。」(邑井操)


  「もし変化を望むなら、その変化が起こる前に、あなたが変化そのものにならなくてはなりません。」(ギタ・ベリン)
  


Posted by misterkei0918 at 08:24Comments(0)

2011年04月15日

人に耳を貸す

人に耳を貸す
   平成16年7月28日

今更ながら人から教えてもらうことの多さに驚く。

最近意識的に人に多く会う為の機会を増やしている。

自分自身は多くの人に会うことでは今までも十分にその機会を作ってきており一般の方よりははるかに多く面談もして来たし会話も交わしている。

数え切れないほどの友人知人を持っている。

そこで最近は方向性を変え、若い人、先進的に頑張っている人、自分に無い知識知恵を持っている人、又は講演会、セミナー、交流会で明らかに私にとって不得手なところや知識の不足していることを対象にしているものに参加を増やしている。

それが仕事上有益に働かなくてもよいし、むしろ関係の無いところから教えてもらうことのほうが新鮮で役に立つことが多いものである。

そういう機会を意識的に作っていて顕著に気づく事がある。

それは若い人の中に結構意欲的に情報の収集や交換、人間関係の構築に努力している姿に接することが多い。

驚きであった。

大学在学中の学生が実社会の異業種交流会に来ている、頑張って欲しいと声援を送らずにはおれない。

人に教えていただくことの有難さを最近特に思う。
  


Posted by misterkei0918 at 08:18Comments(0)

2011年04月15日

笑顔の美しさ(1)

笑顔の美しさ(1)
   平成16年7月22日

人と話す時、最も気になるのは笑顔の表情。

その人が若いとか年をとっているとか、男とか女とかではなく、その人の持つ表情の中でも特に笑う顔の美しさに気づくときがある。

不思議なことにその笑顔の映し出す表情によってその人の性格が読めたり、生い立ちが判ったり、内面がつかめたり、不思議な経験を何回か重ねている。

やはりそうかと納得してみたり思ったとおりの性格だったりすることに接することが多々ある。

だから多くの方に会うことが自分の精進にも大きく役に立つこともあるし反省させられることもしばしばである。

他人から笑顔がきれいだねと言われるようになって見たいものだ。  


Posted by misterkei0918 at 08:11Comments(0)

2011年04月15日

結婚前は両目でしっかり、結婚したら片目をつぶって

結婚前は両目でしっかり、結婚したら片目をつぶって
   平成16年7月18日

私の経験から言っても結婚前は出来るだけ自分の評価を高めておきたいもの。

持ち合わせのないお金でも何とか工面をし、デートの時に恥はかかない様に、或いはつましい貧しい自分ではないところを見せておかねばならない。

食事もなるべく質素を避け、プレゼントは出来るだけリッチさを感じさせるように。

(実は私は食事は頓着なし、プレゼントなどそんな洒落た事には気が利かない。おおよそ女性にとって退屈な男性の一人であることには間違いがない)。

殊には女性本能をくすぐるような所作も必要かも。

それは女性にとっても同じこと、優しくかいがいしい女性を演じ乍ら、時には男性の本能をくすぐるような行動も必要だし弱弱しい姿もときに見せることも必要でしょう。

私の知人の女性(容姿は十人並み以上の美人で賢明な方)は結婚まではそれこそ真面目さを絵に書いたような男性と恋愛から結婚。

それまではこんなに私のために尽くしてくれる男性はこの世に存在しないとまで思ったことらしい。

結果は結婚した途端、
一度たりとも遊びにも食事にも連れて行かない、
自分の遊びには熱心、
浮気はする、
子供の面倒は見ようとしない。

結局は結婚数年で破局。

彼女曰く「表面的なカッコよさやプレゼントなど、見てくれに目がくらんだ」とのこと。

反対に彼にとっての彼女がどうであったかは聞く良しがないので判断のしようがない。

だから、急がず慌てず相手を見つめる心のゆとりが必要。

人間の本性なんてそんなに簡単に見抜けるものではないけどその幾らかでも解っていれば納得できるもの。

諦めもつくという物です。

両目でしっかりお互い見詰め合って、一時の感情に走らないで。

恋愛に関する友人や知人、親の体験談なども耳を大きくして聞いておくのもいいのかもしれません。

そして結婚したら出来れば片目をつぶる努力を。

自分に多くの欠点が存在するように相手にも欠点は存在するもの。

価値観や境遇、知識や教育によっても物事の考え方、行動は自ずから違うもの。お互いを認めつつ、許しつつ、高めつつ、学びつつ、いいとこ見っけ、ではないでしょうか。

長い人生、苦あり、楽あり。

そんなに簡単な道程ではありません。
苦だけの人生もいけませんが楽だけの人生も決していいものではありません。

苦楽があるから、苦楽を共に出来るお互いの人生こそ貴重なもの。それが味な人生。
  


Posted by misterkei0918 at 08:01Comments(0)

2011年04月14日

捲土重来(けんどちょうらい)を心に秘めて

捲土重来(けんどちょうらい)を心に秘めて

「けんどじゅうらい」とも読むそうです。
人生は何があるか分かりません。

昔から「先は一瞬、闇」とも言いました。
明日の我が身にも何かが降りかかる事もあり得る事を、胸にしまっておくことにしないといけないようですね。

今回のように想像を超える地震、津波、原発事故。
この三重苦を考えた人は誰一人たりともいないのではないでしょうか。

被災された方々には、大変に気の毒な事態ですし、そうでない私どもにとっても胸が詰まる悲しい事態でした。

想いをそっくり共有できる事は難しいのですが、早く心の傷が癒え、一日でも早く復興の道を歩んで頂きたいと願うのは国民の等しい思いであります。

その先には、或いは改めて希望が抱ける世界が待ち受けているやもしれません。

幸せは、その為に準備した人にこそ訪れるとは良く言います。
そうです、希望を失うことなく、一歩でも前に進もうとする努力にこそ救いの神は早く訪れるものです。

捲土重来(けんどちょうらい)を調べてみましたら、

『一度敗れたり失敗したりした者が、再び勢いを盛り返して巻き返すことのたとえ。巻き起こった土煙が再びやって来る意から。「捲土」は土煙が巻き上がることで、勢いの激しいことのたとえ。「重来」は再びやって来ること。もとは一度敗れた軍が再び勢いを盛り返して攻めて来ることをいった。』

私は、苦しい悲しい経験を重ねた人ほど、人間性豊かで、思いやりの心が深く、他人の幸せこそ優先したい想いを持てると信じています。

この大震災は、日本人の心を再び蘇らせてくれました。
世界が驚嘆のまなざしで日本を見ています。

永い日本の歴史は、災害を乗り越えた歴史と言っても過言ではないでしょう。
営々として、私どものDNAに刷り込まれた国民性は、再び蘇ろうとしている事を我々は知らないといけません。

捲土重来(けんどちょうらい)の歴史がまた廻ってきたのです。
被災された方々と、心を一つにして戦う時代が来たのです。

久しぶりにこの言葉、捲土重来(けんどちょうらい)を思い出しました。
  


Posted by misterkei0918 at 14:02Comments(0)