しーまブログ 日記/一般福岡県 ブログがホームページに!しーま新機能のお知らせ! さばくる~イベント情報受付中!~

2010年11月12日

本当に当たってしまいました

本当に当たってしまいました

だいたいくじ運はいいんです。
デパートの一万円の金券も頂くこともありましたし、
忘年会でテレビや
ipad、

商店街の抽選会で一等賞、
高級自転車、
東京往復ペア航空券・・・当然高級ホテルの宿泊付


今回、宝くじが当たったと言いたいのですが実はそうではありません。

当たる人は欲が無いとも言いますよね。
確かにどうでもいいと思っているのです。

当たればいいし、当たらなくても悔しくもありませんしどうでもいいのです。

今日は、あのホリエモンの「100億稼ぐ仕事術」。
ある成功者の本を購入し、興味深く読ませていただきました。

時々その方からのメールも拝見させていただいていますが、数日前本の感想文のコメントを寄せてくれた人の中から抽選でプレゼントをくれるというものがありました。

当然、コメントは書いて送信しましたが、選ばれるなどは考えてもいませんでしたし、余り期待もしていなかったのです。

今日の正午ごろ、書籍が届きました。
もうすっかりコメントを書いたことなど忘れていました。

どんなプレゼントかも知りませんでしたが、開封してビックリ。

それがあのホリエモンの「100億稼ぐ仕事術」の冊子だったわけです。

明日から、奈良・平安遷都1300年の企画に乗ったわけではありませんが家内と「奈良三山、平城京の旅」へ出かけますが、往復の新幹線の中ででも拝読したいと思っています。

ついでにipadをもって行きますので、時間は却って不足するかもしれませんね。

旅の前日にありがたいプレゼントが当たりました。
  


Posted by misterkei0918 at 23:30Comments(0)

2010年11月12日

後ろ指差されたい

後ろ指差されたい   平成16年11月17日

後ろ指を指されるというと、なんとなくいけないことで非難されているような距離を置かれるようなそれこそ後ろめたい感じがしますね。

でも言葉どおり捉えて後ろから指を指されたほうがいいと思いませんか。

前からそれこそ自分に向かって指を指されたら威圧的で失礼で腹が立ちません?。

よく人と話をしている時にやたらと私に向かって指を指しながら喋る方がおられます。

その方は悪気があってそうしているわけではないのですが癖なんでしょうね。

映画で見るヒットラーのようで命令口調に見えて先程記したように威圧的で、自分の意見に自信たっぷりで。

こちらの発言や意見には耳を貸しそうに無くて。
そんな時はやはり、指は指さないほうが。

悪口を言われたり非難されるなら後ろからそれとなく言って欲しいもの。

私などは気が弱い方なので前から単刀直入に言われるとグサッと来てしょげ返ってしまいます。

多分一週間は頭から離れず立ち直れないでしょう。
褒める事でも正面切って褒められると照れくさくていても立ってもおれなくなります。

やさしくそれとなくさりげ無く褒めて欲しいものです
。だから後ろから指されたいほうなのです。

それがまた相手に対する心遣いなのでしょうか。
怒る時も、褒める時も、悟す時も。手練手管もいやですが。

でもそれだけが全てではなく前から指を指して意見をしなくてはいけない場面もあることは事実。

口角泡を飛ばして顔色を変えて指を指してやる議論も否定はしません。

必要なのは心意気、心のあり方なのでしょう。

相手を思いやる心のゆとりとでも表現したらいいのでしょうか。
それとなく一歩下がって距離を計り時を見て場所をわきまえて。
  


Posted by misterkei0918 at 23:01Comments(0)

2010年11月12日

対人恐怖症

対人恐怖症   平成16年11月12日

人に会うのが気になってしょうがない、
出来る事なら会いたくない、
会っても人の視線やしぐさが気になる、
目を合わせて言葉が交わせない、
周りが気になる。気後れをする。

……今、私がこんな事を友人知人に語ったら「嘘だろう」とか違う人の話だと受け取るに違いない。

事実今の私にはそんなそぶりはひとかけらも無いから他人がそんな風に思うのは無理も無い話である。

現在はそんな事はないといえば嘘になるけど、所謂普通の人々と同じような感覚に一応なったのかなと思わないではない。

気づき始めたのが中学2年~3年ぐらいと思う。
高校になると自覚が激しくなり社会人になると自分で異常さえ感じるようになってきた。

今思うと性格的に負けず嫌いで、かといって表立って競争するのは嫌い、屈辱感を味わうのがとてもいやでそれを恥ずかしいとさえ思うようになる所謂、羞恥心は強い。

向上心も割と強くて挫折はしたくない。
人との関わりが嫌かというと実はそうではなく気になってしようが無い、人との係わりを深く求めているのである。

人の目が気になる、つまり自分が人を良く見ていることに繋がっているんです。

人に上手が言えない、ある意味、馬鹿真面目で正直者。
人に後ろ指を刺されたりするのがいや。

オーバーな言い方をすれば自分の改造計画に取り掛かり始めた。
24歳で結婚をして、長男が生まれ、次男が生まれた年に脱サラ、その年に起業。

当然、人との接触をしないではこれから家族も路頭に迷う事となる。
その2~3年後からとにかく人に会うことに努力。
毒には毒を持って制す。
目には目を、歯には歯をと、

逆療法、荒療治を試みる事に踏み切った。

経営者団体にも参加、異業種の交流、ボランティア団体、PTA、政治団体……数えたらきりが無いほど。

経営者や異業種は自分で望んで加入したが後はほとんど招請を受けた形での加入である。

今、思うとそんな性格だから加入したら一生懸命に参加する、休まない、人に配慮する、勉強する、情報収集に努める……結果的には多くの方に信用を頂き大事な役回りを担当させられる事となりそれが引き金となって色んな団体や組織から声が掛かり重要な地位を任せられることとなった。

そうなると当然、多くの人の前で話す事も増え数え切れない人々にも接触をしなければいけない。失敗は許されない。

出来て当たり前。
そんな事で訓練に訓練を重ね、なんとか一人前の男として確立されてきたように思う。

失敗するのが嫌いだから用意は周到でありながら片や当たって砕けろ的なところもあるので、あるところまで努力したら諦めも早い。

表立って積極的に前に出ることはしない、控えめを旨としでしゃばらない。

自分としてはそんな荒療治が根本的な解決になるとは全く思いもよらない事でいわば結果が証明したという事ではないでしょうか。

普段会えない方々にも面識が出来信頼を頂き、むしろ天から頂いた災いは福を招いてくれたのである。

清水の舞台から飛び降りる気持ちが一か八かの瀬戸際で私に大きな転機を与えてくれたのである。

人生果敢に挑戦、
まさしくやってやれない事は無いとはこのことでしょうか。

一度しかない人生、出来る事なら明るく楽しく勇気を持って行きたいもの。

その一番大切なものはなんといっても人間関係、人に接する事が上手に出来ればそのほとんどが実現できたようなものです。

想像するに私が現状に甘んじて諦めの境地に陥っていれば今頃家族だけでなく会社をも路頭に迷わす結果になった事は明白。

今でも暗く寂しい人生を歩んでいた事と想像する事は難くない。

これが自分の持って生まれた性格と思い込まないで本来の自分は他にある、今の姿は自分ではない、新しい自分を作り出す、取り戻す勇気を持つか待たないか、その差は雲泥の差が眼前にある。

また克服の過程の中で、その結果副次的に派生する多くのものを得る事が可能なのである。

むしろそのことに着目した方が楽しい結果になるかも。

必ず人それぞれに自分が気づかない隠れた自分が存在する事を発見します。私がその実践者といっても過言ではないと思っています。
  


Posted by misterkei0918 at 22:54Comments(0)

2010年11月12日

楽しく生きるために自分が変わる

楽しく生きるために自分が変わる   平成16年7月30日

自分の思うように世の中が動かない、
そんな風に社会が出来ていない、相手が自分を理解してくれない、
私はこんなに情熱を傾けているのに全く解ってくれない。

つまり他人や社会を自分のものさしや価値観で持って接しているとついこんな歯がゆい思いで毎日を過ごしているものです。

地団駄踏んでも世の中や社会、家族や知人は自分が思うように動くものではない。

  「生き残る種とは、もっとも強いものではない。もっとも知的なものでもない。
   それは、変化にもっともよく適応したものである」(ダーウィン)

他人を変えようとすれば大変な労力が必要であり、所詮無理なこと。

十分な金銭でも積めば自分の思うように動く人が出てくるかもしれない。

そんな守銭奴みたいなことは出来ない。
最も簡単な方法は自分が変わることではなかろうか。

自分が変われば人が変わる、人の見方も変わってくるもの。

変われば周りの世界が楽しく見えてくる。変化する楽しみも覚えてくる。
  


Posted by misterkei0918 at 22:35Comments(0)