2010年11月07日
救急外来に3度も飛び込んでしまいました
救急外来に3度も飛び込んでしまいました
自慢になることでもありませんし、読まれる方の参考にもなりませんが3度も救急に走ってしまいました。
或いは反面教師くらいにはなるかも知れませんね。
飛び込んだ先は福岡日赤病院。
痛さの原因は腎臓結石。
腎臓から尿道へ落ちてくる石が神経を刺激することによる痛み。
10年位前の時にも救急に飛び込みましたが、この時の先生に「今、治しておかないと人工透析を受ける体になってしまいますよ」と言われたのですが。
一度目は、1日の夕方、5時過ぎだったでしょうか。
朝から幾らか可笑しい事は分かっていたのですが、大丈夫と踏んでいたのです。
あまりの痛さに時間まで見るゆとりがありませんでした。
レントゲン撮影、血液検査、尿を採取、超音波で腹部を検査、点滴をしていただき座薬の痛み止めを持参して家路へ。
ほぼ5年に一度経験することになります。
七転八倒するほどの痛さにも係わらず、遣り過ごした後には痛みのかけらも残ることは無く、このことが結局は治療する事も、勧められる入院もしないで約30年を有に越えてしまいました。
痛みは幾らか治まったのでその夜は痛み止めを飲みながら何とか自宅で就寝。
2日は、やはり朝から変です。
食事の度に痛み止めの服用は止められません。
夕方は大事な会議です、どうしても出席しなくてはいけません。
ところが痛みが激しくなってきました。
一旦は、痛みの余り出席を断念すべく、自宅へ戻りかけましたが私の性格上、欠席は決して許しません。
痛みを押して参加することにしました。
何とか会議をこなしましたが、引き続いて懇親会です。
ビールジョッキ1杯で、乾杯を済ませ帰るつもりでしたが結局は最後まで、数杯のビールを飲んでしまいました。
思いの片隅にはビールで尿道結石を押し流してしまおうとする魂胆もあったことは間違いあありませんでした。
ところがそれからが大変だったのです。
その日の夜中は朝を迎えるまで、寝床の中で転げまわっていたのです。
頂いた座薬も数度使ったのですが、全く効き目なし。
二度目は3日、祭日。
先ほどの話のように夜中は痛みの極み状態。
朝の5時過ぎに再び、日赤病院へ。
対応していただいた先生が整形外科の担当と言うことで全く処置が出来ず。
偶然に3日・祭日の宿直が泌尿器科の先生で9時半に来られるという事で、その間救急室のベットに寝かせていただきましたが、先生がお見えになるまでの時間の長い事。
痛み止めの注射をして頂き、不思議な事に痛みが確実に引いていきます。
座薬の痛み止めが効かないことを申し上げ、飲み薬に切り替えていただき自宅へ。
お昼までは100%ではありませんが幾らかOKでした。
ところが夕方4時近くから又おかしくなって来ました。
三度目です。3日5時ごろ病院へ。
家内に事前の電話をしてもらい再び救急外来へ飛び込む始末。
1日に2度も救急に飛び込んで来る患者は珍しいでしょうね。
同じ泌尿器の先生がまだおられましたので、朝ほどの痛み止めに注射をしてもらい、痛みを和らげてもらう。
先生からは「今度、来られたら入院ですよ。泌尿器病棟にはベットは空いていませんがそれは何とかします」との事。
入院を絶対したくない私としては今回を終わりにすべく絶対に痛みを終息させねばなりません。
その願いが通じたのか、先生の脅しが効いたのか痛みが時間と共に和らいでいきます。
その夜は幾らか落ち着いての就寝でした。
4日と5日は、万全ではありませんでしたが、本来の痛みまではいきません。
尿道の石が、外に排泄できたのは6日の昼ごろのような気がします。
何度もこんな経験をすると、不思議なものです。
尿道から排泄される石の感覚まで分かるようになってしまいます。
自慢にもなりませんね、こんな事。
自慢になることでもありませんし、読まれる方の参考にもなりませんが3度も救急に走ってしまいました。
或いは反面教師くらいにはなるかも知れませんね。
飛び込んだ先は福岡日赤病院。
痛さの原因は腎臓結石。
腎臓から尿道へ落ちてくる石が神経を刺激することによる痛み。
10年位前の時にも救急に飛び込みましたが、この時の先生に「今、治しておかないと人工透析を受ける体になってしまいますよ」と言われたのですが。
一度目は、1日の夕方、5時過ぎだったでしょうか。
朝から幾らか可笑しい事は分かっていたのですが、大丈夫と踏んでいたのです。
あまりの痛さに時間まで見るゆとりがありませんでした。
レントゲン撮影、血液検査、尿を採取、超音波で腹部を検査、点滴をしていただき座薬の痛み止めを持参して家路へ。
ほぼ5年に一度経験することになります。
七転八倒するほどの痛さにも係わらず、遣り過ごした後には痛みのかけらも残ることは無く、このことが結局は治療する事も、勧められる入院もしないで約30年を有に越えてしまいました。
痛みは幾らか治まったのでその夜は痛み止めを飲みながら何とか自宅で就寝。
2日は、やはり朝から変です。
食事の度に痛み止めの服用は止められません。
夕方は大事な会議です、どうしても出席しなくてはいけません。
ところが痛みが激しくなってきました。
一旦は、痛みの余り出席を断念すべく、自宅へ戻りかけましたが私の性格上、欠席は決して許しません。
痛みを押して参加することにしました。
何とか会議をこなしましたが、引き続いて懇親会です。
ビールジョッキ1杯で、乾杯を済ませ帰るつもりでしたが結局は最後まで、数杯のビールを飲んでしまいました。
思いの片隅にはビールで尿道結石を押し流してしまおうとする魂胆もあったことは間違いあありませんでした。
ところがそれからが大変だったのです。
その日の夜中は朝を迎えるまで、寝床の中で転げまわっていたのです。
頂いた座薬も数度使ったのですが、全く効き目なし。
二度目は3日、祭日。
先ほどの話のように夜中は痛みの極み状態。
朝の5時過ぎに再び、日赤病院へ。
対応していただいた先生が整形外科の担当と言うことで全く処置が出来ず。
偶然に3日・祭日の宿直が泌尿器科の先生で9時半に来られるという事で、その間救急室のベットに寝かせていただきましたが、先生がお見えになるまでの時間の長い事。
痛み止めの注射をして頂き、不思議な事に痛みが確実に引いていきます。
座薬の痛み止めが効かないことを申し上げ、飲み薬に切り替えていただき自宅へ。
お昼までは100%ではありませんが幾らかOKでした。
ところが夕方4時近くから又おかしくなって来ました。
三度目です。3日5時ごろ病院へ。
家内に事前の電話をしてもらい再び救急外来へ飛び込む始末。
1日に2度も救急に飛び込んで来る患者は珍しいでしょうね。
同じ泌尿器の先生がまだおられましたので、朝ほどの痛み止めに注射をしてもらい、痛みを和らげてもらう。
先生からは「今度、来られたら入院ですよ。泌尿器病棟にはベットは空いていませんがそれは何とかします」との事。
入院を絶対したくない私としては今回を終わりにすべく絶対に痛みを終息させねばなりません。
その願いが通じたのか、先生の脅しが効いたのか痛みが時間と共に和らいでいきます。
その夜は幾らか落ち着いての就寝でした。
4日と5日は、万全ではありませんでしたが、本来の痛みまではいきません。
尿道の石が、外に排泄できたのは6日の昼ごろのような気がします。
何度もこんな経験をすると、不思議なものです。
尿道から排泄される石の感覚まで分かるようになってしまいます。
自慢にもなりませんね、こんな事。
Posted by misterkei0918 at
23:42
│Comments(1)
2010年11月07日
たとえ相手が食べ物であっても礼儀がある
たとえ相手が食べ物であっても礼儀がある
消費期限や賞味期限が時々話題に上ります。
昔であれば、母親や父親が匂いを嗅いだり、物の状態を目で見て判断し食べられる状態かそうでないかを理解できたものです。
また、冷蔵庫も無い時代ですから保管の方法や物持ちをどのようにすれば長持ちするかの知恵を持っていたものです。
コンビニにバイト先を求めた次男が時々、弁当を抱えて戻ってきます。
「時間切れで、店長から貰ってきた」
「全部廃棄されるのが勿体無いのでもらってきた」と言うのです。
聞いたら、時間が来たら一挙に捨てられると言います。
どうも最近では、コンビニ側も配慮をし、豚の餌に摺るとかサイクルを考え始めたようです。
コストは掛かるのでしょうが。
時代の要請でもありますが、環境への配慮や「勿体無い」の考えが浸透してきたのでしょうね。
それが大切な物への配慮だと思うのです。
私は、後一つ、
その物への配慮に後一つ必要な事があるとも思うです。
買い求めた物への礼儀。
当然大切に扱ってあげたり、出来るだけ最後まで消化してあげる事。
私どもは生き物の命を買い求めてきたのですが、買ってきたから粗雑に扱ったり、中途半端或いはいい加減な消費のあり方は大変失礼な事で礼儀を失した行動であると思うのです。
昨日も夕食は、外食でしたが残すようであれば少し控えめに注文をすればいいのに、残しはしませんでしたが満腹状態。
結局はその付近の考慮、配慮不足のために無駄な消化をし、摂取夥多の挙句の果ては栄養過剰、カロリーの極端オーバーでロクなことはありません。
昔から言う「腹八分」を忘れているのです。
粗食は難しい時代ですがせめてそのくらいの節度は持っていたいものです。
それが「相手が食べ物であっても礼儀」を失しない事を肝に銘じないといけませんね。
反省!!反省!!
消費期限や賞味期限が時々話題に上ります。
昔であれば、母親や父親が匂いを嗅いだり、物の状態を目で見て判断し食べられる状態かそうでないかを理解できたものです。
また、冷蔵庫も無い時代ですから保管の方法や物持ちをどのようにすれば長持ちするかの知恵を持っていたものです。
コンビニにバイト先を求めた次男が時々、弁当を抱えて戻ってきます。
「時間切れで、店長から貰ってきた」
「全部廃棄されるのが勿体無いのでもらってきた」と言うのです。
聞いたら、時間が来たら一挙に捨てられると言います。
どうも最近では、コンビニ側も配慮をし、豚の餌に摺るとかサイクルを考え始めたようです。
コストは掛かるのでしょうが。
時代の要請でもありますが、環境への配慮や「勿体無い」の考えが浸透してきたのでしょうね。
それが大切な物への配慮だと思うのです。
私は、後一つ、
その物への配慮に後一つ必要な事があるとも思うです。
買い求めた物への礼儀。
当然大切に扱ってあげたり、出来るだけ最後まで消化してあげる事。
私どもは生き物の命を買い求めてきたのですが、買ってきたから粗雑に扱ったり、中途半端或いはいい加減な消費のあり方は大変失礼な事で礼儀を失した行動であると思うのです。
昨日も夕食は、外食でしたが残すようであれば少し控えめに注文をすればいいのに、残しはしませんでしたが満腹状態。
結局はその付近の考慮、配慮不足のために無駄な消化をし、摂取夥多の挙句の果ては栄養過剰、カロリーの極端オーバーでロクなことはありません。
昔から言う「腹八分」を忘れているのです。
粗食は難しい時代ですがせめてそのくらいの節度は持っていたいものです。
それが「相手が食べ物であっても礼儀」を失しない事を肝に銘じないといけませんね。
反省!!反省!!
Posted by misterkei0918 at
22:40
│Comments(0)
2010年11月07日
胸が詰まる想いが多すぎる
胸が詰まる想いが多すぎる
最近は馬齢を重ねたからそうなのだとか、人間は涙もろくなるものだとか、自分を宥(なだ)めすかせる日々が続きます。
多分、私だけではないかもしれませんね。
余りにも悲惨な事が多すぎる。
情報社会のなせる技なのか、マスコミの発展?の影響なのか、或いは人間の感情や心が荒んだ挙句なのか。
経済も停滞20年近くになってきました。
ボーダレス、グローバルと言われて、果たして世の中はより豊かで安心な世の中に近づいたのでしょうか。
競争は世の中を進展させるもの、心休まる社会をつくる方向へ進むものと信じていたのですが、果たしてそうだったのでしょうか。
適度の競争や身近なことへの挑戦は、当然必要なものですし、それなくしては世の中の進展は無いのですが、過度の競争は人心を荒廃させ、弱肉強食の極みを迎えることになってしまいます。
増してや国同士の競争はやがてはとんでもない結末を迎えるプロローグ、前章にもなるものです。
当然置き去りにされる国や人々も出現する事は必死ですから、決していい方向には行かないような気がします。
先日も、日本が四面楚歌状態になりつつあるとブログを書きましたが、戦前のことではありませんが追い詰められた鼠が、巨大な猫に噛み付くとんでもない行動だって、無いとは言えません。
世の中の全てがこのような事になってはいないでしょうか。
身近なところで同様な事が起きていないでしょうか。
すぐそばで起こっている事件や事故、どこか荒んできた人間の姿を垣間見るような気がします。
今のような状況で、果たして私どもの子どもたちや孫たちは安寧の日々を向かえ、送ることができるのでしょうか。
私一人が悔やみ、悲しみ、悲嘆に暮れても詮無い事ですが、ここらで暫し立ち止まり、果たしてこのままでいいのか自分の足元を見つめなおす時代が来ているような気がします。
苦労したあの時代や食べ物にも不足して、
住まいも長屋でボロボロ、
衣類は破けてふせだらけ、
青い鼻を垂れて、
みんなお互いを気遣って一つ屋根の下で暮らした頃・・・・・
経済的な豊かさや物に囲まれた満足感、
合理性のみを追求し、人を蹴落とし、
人としての本来の優しさを失った今・・・・・
もう要らない様な気がします。
最近は馬齢を重ねたからそうなのだとか、人間は涙もろくなるものだとか、自分を宥(なだ)めすかせる日々が続きます。
多分、私だけではないかもしれませんね。
余りにも悲惨な事が多すぎる。
情報社会のなせる技なのか、マスコミの発展?の影響なのか、或いは人間の感情や心が荒んだ挙句なのか。
経済も停滞20年近くになってきました。
ボーダレス、グローバルと言われて、果たして世の中はより豊かで安心な世の中に近づいたのでしょうか。
競争は世の中を進展させるもの、心休まる社会をつくる方向へ進むものと信じていたのですが、果たしてそうだったのでしょうか。
適度の競争や身近なことへの挑戦は、当然必要なものですし、それなくしては世の中の進展は無いのですが、過度の競争は人心を荒廃させ、弱肉強食の極みを迎えることになってしまいます。
増してや国同士の競争はやがてはとんでもない結末を迎えるプロローグ、前章にもなるものです。
当然置き去りにされる国や人々も出現する事は必死ですから、決していい方向には行かないような気がします。
先日も、日本が四面楚歌状態になりつつあるとブログを書きましたが、戦前のことではありませんが追い詰められた鼠が、巨大な猫に噛み付くとんでもない行動だって、無いとは言えません。
世の中の全てがこのような事になってはいないでしょうか。
身近なところで同様な事が起きていないでしょうか。
すぐそばで起こっている事件や事故、どこか荒んできた人間の姿を垣間見るような気がします。
今のような状況で、果たして私どもの子どもたちや孫たちは安寧の日々を向かえ、送ることができるのでしょうか。
私一人が悔やみ、悲しみ、悲嘆に暮れても詮無い事ですが、ここらで暫し立ち止まり、果たしてこのままでいいのか自分の足元を見つめなおす時代が来ているような気がします。
苦労したあの時代や食べ物にも不足して、
住まいも長屋でボロボロ、
衣類は破けてふせだらけ、
青い鼻を垂れて、
みんなお互いを気遣って一つ屋根の下で暮らした頃・・・・・
経済的な豊かさや物に囲まれた満足感、
合理性のみを追求し、人を蹴落とし、
人としての本来の優しさを失った今・・・・・
もう要らない様な気がします。
Posted by misterkei0918 at
13:02
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