2010年11月07日
胸が詰まる想いが多すぎる
胸が詰まる想いが多すぎる
最近は馬齢を重ねたからそうなのだとか、人間は涙もろくなるものだとか、自分を宥(なだ)めすかせる日々が続きます。
多分、私だけではないかもしれませんね。
余りにも悲惨な事が多すぎる。
情報社会のなせる技なのか、マスコミの発展?の影響なのか、或いは人間の感情や心が荒んだ挙句なのか。
経済も停滞20年近くになってきました。
ボーダレス、グローバルと言われて、果たして世の中はより豊かで安心な世の中に近づいたのでしょうか。
競争は世の中を進展させるもの、心休まる社会をつくる方向へ進むものと信じていたのですが、果たしてそうだったのでしょうか。
適度の競争や身近なことへの挑戦は、当然必要なものですし、それなくしては世の中の進展は無いのですが、過度の競争は人心を荒廃させ、弱肉強食の極みを迎えることになってしまいます。
増してや国同士の競争はやがてはとんでもない結末を迎えるプロローグ、前章にもなるものです。
当然置き去りにされる国や人々も出現する事は必死ですから、決していい方向には行かないような気がします。
先日も、日本が四面楚歌状態になりつつあるとブログを書きましたが、戦前のことではありませんが追い詰められた鼠が、巨大な猫に噛み付くとんでもない行動だって、無いとは言えません。
世の中の全てがこのような事になってはいないでしょうか。
身近なところで同様な事が起きていないでしょうか。
すぐそばで起こっている事件や事故、どこか荒んできた人間の姿を垣間見るような気がします。
今のような状況で、果たして私どもの子どもたちや孫たちは安寧の日々を向かえ、送ることができるのでしょうか。
私一人が悔やみ、悲しみ、悲嘆に暮れても詮無い事ですが、ここらで暫し立ち止まり、果たしてこのままでいいのか自分の足元を見つめなおす時代が来ているような気がします。
苦労したあの時代や食べ物にも不足して、
住まいも長屋でボロボロ、
衣類は破けてふせだらけ、
青い鼻を垂れて、
みんなお互いを気遣って一つ屋根の下で暮らした頃・・・・・
経済的な豊かさや物に囲まれた満足感、
合理性のみを追求し、人を蹴落とし、
人としての本来の優しさを失った今・・・・・
もう要らない様な気がします。
最近は馬齢を重ねたからそうなのだとか、人間は涙もろくなるものだとか、自分を宥(なだ)めすかせる日々が続きます。
多分、私だけではないかもしれませんね。
余りにも悲惨な事が多すぎる。
情報社会のなせる技なのか、マスコミの発展?の影響なのか、或いは人間の感情や心が荒んだ挙句なのか。
経済も停滞20年近くになってきました。
ボーダレス、グローバルと言われて、果たして世の中はより豊かで安心な世の中に近づいたのでしょうか。
競争は世の中を進展させるもの、心休まる社会をつくる方向へ進むものと信じていたのですが、果たしてそうだったのでしょうか。
適度の競争や身近なことへの挑戦は、当然必要なものですし、それなくしては世の中の進展は無いのですが、過度の競争は人心を荒廃させ、弱肉強食の極みを迎えることになってしまいます。
増してや国同士の競争はやがてはとんでもない結末を迎えるプロローグ、前章にもなるものです。
当然置き去りにされる国や人々も出現する事は必死ですから、決していい方向には行かないような気がします。
先日も、日本が四面楚歌状態になりつつあるとブログを書きましたが、戦前のことではありませんが追い詰められた鼠が、巨大な猫に噛み付くとんでもない行動だって、無いとは言えません。
世の中の全てがこのような事になってはいないでしょうか。
身近なところで同様な事が起きていないでしょうか。
すぐそばで起こっている事件や事故、どこか荒んできた人間の姿を垣間見るような気がします。
今のような状況で、果たして私どもの子どもたちや孫たちは安寧の日々を向かえ、送ることができるのでしょうか。
私一人が悔やみ、悲しみ、悲嘆に暮れても詮無い事ですが、ここらで暫し立ち止まり、果たしてこのままでいいのか自分の足元を見つめなおす時代が来ているような気がします。
苦労したあの時代や食べ物にも不足して、
住まいも長屋でボロボロ、
衣類は破けてふせだらけ、
青い鼻を垂れて、
みんなお互いを気遣って一つ屋根の下で暮らした頃・・・・・
経済的な豊かさや物に囲まれた満足感、
合理性のみを追求し、人を蹴落とし、
人としての本来の優しさを失った今・・・・・
もう要らない様な気がします。
Posted by misterkei0918 at 13:02│Comments(0)