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2011年03月31日

義と利

義と利

任侠の世界のことの様に思えますが、実は私どもの日常でも義と利は深く係わっていますよね。

鹿児島では「義を言うな」と良く言います。

義は、象形で言うと「羊をいけにえとして刃物で殺すさま。厳粛な作法にかなったふるまい」

正しい、
道にかなっている、
人のふみ行うべき正しい道、
五常の一つ(仁・義・礼・智・信)
実物の代わり(本物ではないけど同じとみなす。義父、義足・・・)

義理人情の義が代表的なものかもしれませんね。
人間としての根源的な話ですよね。

人に言わせると、義は相手や他人に対する行動の規範と言う人もいます。


孔子は、義について
『子曰わく、其の鬼(き)に非ずしてこれを祭るは、諂(へつら)いなり、義を見て為(せ)ざるは勇なきなり)
「自分の先祖でも無いのに祭るのは媚諂う事だ、正義を行うべき時に行動しないのは臆病者だ。」


『子曰わく、君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る』
「人格者は正しさを求め、つまらない人間は利益を求める。」


利は、調べてみましたら
象形としては、稲に手をかけ、鋭いすきで土をすき起こすさま。
するどいとか、
役に立つ、
こうじて、為になる、切れる、儲け、賢い・・・・・
自分が周りに対してどういうスタンスなのか。
利己、利他と言う言葉もあります。

孔子は、利について
『子曰わく、利に放(よ)りて行えば、怨(うら)み多し』
「もし自分の利益のためだけに行動すれば、人々の恨みを買うだろう。」


『利を見ては義を思い、危うきを見ては命(いのち)を授(さず)く、久要(きゅうよう)、平生(へいせい)の言を忘れざる、亦以て成人と為すべし』

「もし利益より正義を優先し、危険に身命をなげうつ覚悟があり、昔交わした小さな約束までも忘れないようにするならば、完成された人物と言って良いだろう。」


義は、社会や他人、周囲を優先する想い、
利はどちらかと言うと自らの事を優先する想い。

両方とも、象形としては鋭い刃物が出てくるから不思議です。
日本の漢字に対する想いがますますつのりそうですね。
  


Posted by misterkei0918 at 17:03Comments(0)

2011年03月31日

お星様への誘(いざな)い

お星様への誘(いざな)い

最近、月や星への関心が強くなってきました。
その分、お日様・太陽への興味が薄れてきた?

むしろ、天照大神や仏教、古寺・・・等に興味が移ってきました。
これも年の精なのでしょうかね。

お日様への関心が薄れたというよりも興味の対象が変化してきたというのが本当でしょう。
お日様と言えば、中でも気を引くのは日の出ですよね。

一日の始めに拝むお日様は何か特別なものが存在します。
所謂、神道的な精神構造が働いているのでしょう。

或いは、私が勝手に守護神として尊敬している母方の祖父が毎朝、お天道様に両手を合わせている後ろ姿を拝見していた事にも由来するものでしょう。

初日の出を見るとつい両手を合わせて頭を垂れてしまいます。

月や星への関心の始まりは、一つには夜のウォーキングが多くなったことも一つの原因でしょうし、毎年大晦日に家族で出かける温泉宿での想いでも大きな要因の一つのようです。

ウォーキングの時には何故かしら天上を仰ぐ癖があります。
幼い頃、南国で生まれ育った私は、今にも落ちてきそうな星々を眺めながら過ごした記憶があります。

また、年の瀬の慌ただしさから解放される大晦日。

大分県の山間の温泉宿が毎年恒例の年越しになっていますが、ここで見た夜空の星の多さに圧倒された経験がどうもそんな関心を呼び起こしているようです。

そうですね、馬齢を重ねてセンチメンタルな気分、或いは少し精神的に衰えを見せてきたのか、はたまた挙句の果ては夜空のお星様にでもなろうとでも思っているのか。

近いうち、星やの天体の観測もしたいとも思いますし、福岡市中央区の福岡市立少年科学文化館でも訪ねてプラネタリュームの見学の実現をしたいとも思います。

多分、子供たちが殆どでしょうがそれでも賑やかな勉強の方が楽しいでしょう。

以前、福岡県星野村の天文台を訪ねた事がありますが、この時には天気に恵まれず空振りになってしまいました。

いずれにしても私どもの生活だけではなく、体のリズムを始め或いは構造的にも天体の影響なしでは存在しないでしょうから、少し勉強を始めるのもいいかなと思っております。

それで、少しでも人としての深みや幅が出てくれると、もっと嬉しい事ではありますが。

  


Posted by misterkei0918 at 10:23Comments(0)