2011年03月26日
相変わらず走っています
相変わらず走っています
「時には休んでは?」
そんな言葉が聞こえます。
或いは、もうそろそろ走り続けるのを止めるか、半分程度に抑えてしまうか、
それとも補完、補佐をしてくれる人、例えば秘書的な人をお願いするか。
やはり性格的に駄目なんですよね。
なんでも自分でやろうとする性格。
人にお願するとか、任せるとか、しないといけませんね。
分かっているのですが。
それも、本人の器量なんでしょうが、幼い頃から自分の身の回りの事は自分でやってきましたし、親兄弟もそういう意味での存在ではありませんでしたから全て自分で解決しようとする性格。
ましてや、人に物事をお願いすることが下手な性格が災いしているのでしょうね。
神経はすり減らすためにあって、しかもすり減らす度合いが多ければ多い程それ以上の再生をするような気がして・・・・・
昨年の日赤への救急外来への飛び込みみたいな事態にまだ懲りていないというか、身の程知らずというか。
考えてみたら、人の一生は何処まで頑張ればどうとか、終わりがそろそろ見えてくる頃とか、そんな事がありませんよね。
どうもこのまま頑張り続けて終わるような気がします。
そんな際限のない人生だからこそ人を生きていこうとするのかもしれません。
この度の震災を受けられた方々も、これからがまた大変な道のりを歩まれることと思いますが、人は人の中にいてこそ人である訳ですから、勇気を振り絞って、励まし合って頑張って頂きたいものです。
走り続けているとは言っても、被災を受けた方々すると微々たることかもしれませんね。
人生は、走り続ける課題に直面すればこその所もありますしね。
気を取りなして、頑張りましょう!!
今日は、
午後2時から、歴史の勉強会
6時から、ある地方の行政トップの方々との懇談会
明日は朝から、大牟田へのお墓参り
夕方、福岡へ戻って
6時から、先ほどの地方の商工会議所のトップの方々との交流会
準備万端、いざ出発です。
「時には休んでは?」
そんな言葉が聞こえます。
或いは、もうそろそろ走り続けるのを止めるか、半分程度に抑えてしまうか、
それとも補完、補佐をしてくれる人、例えば秘書的な人をお願いするか。
やはり性格的に駄目なんですよね。
なんでも自分でやろうとする性格。
人にお願するとか、任せるとか、しないといけませんね。
分かっているのですが。
それも、本人の器量なんでしょうが、幼い頃から自分の身の回りの事は自分でやってきましたし、親兄弟もそういう意味での存在ではありませんでしたから全て自分で解決しようとする性格。
ましてや、人に物事をお願いすることが下手な性格が災いしているのでしょうね。
神経はすり減らすためにあって、しかもすり減らす度合いが多ければ多い程それ以上の再生をするような気がして・・・・・
昨年の日赤への救急外来への飛び込みみたいな事態にまだ懲りていないというか、身の程知らずというか。
考えてみたら、人の一生は何処まで頑張ればどうとか、終わりがそろそろ見えてくる頃とか、そんな事がありませんよね。
どうもこのまま頑張り続けて終わるような気がします。
そんな際限のない人生だからこそ人を生きていこうとするのかもしれません。
この度の震災を受けられた方々も、これからがまた大変な道のりを歩まれることと思いますが、人は人の中にいてこそ人である訳ですから、勇気を振り絞って、励まし合って頑張って頂きたいものです。
走り続けているとは言っても、被災を受けた方々すると微々たることかもしれませんね。
人生は、走り続ける課題に直面すればこその所もありますしね。
気を取りなして、頑張りましょう!!
今日は、
午後2時から、歴史の勉強会
6時から、ある地方の行政トップの方々との懇談会
明日は朝から、大牟田へのお墓参り
夕方、福岡へ戻って
6時から、先ほどの地方の商工会議所のトップの方々との交流会
準備万端、いざ出発です。
Posted by misterkei0918 at
10:57
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2011年03月24日
多くの経営者たちにも頑張って欲しい
多くの経営者たちにも頑張って欲しい
大変な事態になってきました。
まさか、この度の地震や津波が原発の事故にまで及ぶとは。
私どもの業界の仲間たちも多く失ってしまいました。
人的な損害だけでなく、在庫品、材料、社屋や機械設備、経営の機会、商売のチャンスまでも。
経営者は、法人個人に関わらず、社員の福利厚生や日常的な生活の保障、また法人としての社会的責任や税負担に加えて、自己の生活を守る責任を一手に背負っております。
災害の規模は、25兆円を超えるとも言われ、GDPを0.5%押し下げるとも言われます。
復興に掛るお金は10兆円でも不足すると言われます。
当該地方の経済、生活もずたずたになってしまいました。
復興と言っても10年20年かかる事でしょう。
ですが市民生活回復はそんなに待てるものではありません。
待ったなしの状態ですが、政府、自治体がどんな復興計画を打ち出すのでしょうか。
贅沢な事を望む訳ではありませんが、せめてこれからの生活を維持するにふさわしい程度の復興は1日も早く遂げて欲しいものです。
とりわけ、生活の基盤を支えているのは経済活動であり、言わずとも企業活動が活力を取り戻さないと決してもとには戻らないでしょう。
その為にも、従来の経営者たちが、もう一度力を振り絞って立ちあがって欲しいものです。
仕事が眼前にあり、労働の確保が出来れば、笑顔も戻り生活の糧が出来ると言うものです。
政府の補助金、助成金も早く目途を立ててあげて、早い立ち上がりを支えてあげて欲しいものです。
銀行を始めとして、金融機関もあと少し門戸を開いてあげて大いなる支援をして差し上げて欲しいですね。
経営者が、気力を失い、挫折の日々を送っていては社会全体の活力を削いでしまいます。
小さな商店や零細企業でもそうです。
今一度勇気を振り絞って立ちあがりましょう。
マスコミなどの報道をみていると、個人の事に終始することが多いようですが、実は多くの人々に希望を与え、働くことで生活資金の確保ができ、多くのお客様や社員仲間との交流や触れ合いを通じて、今一度賑やかで活性化の道を歩み始めるのは早くお店や企業が立ちあがることです。
経営者たちよ頑張れ。
全国の経営者が応援しています。
大変な事態になってきました。
まさか、この度の地震や津波が原発の事故にまで及ぶとは。
私どもの業界の仲間たちも多く失ってしまいました。
人的な損害だけでなく、在庫品、材料、社屋や機械設備、経営の機会、商売のチャンスまでも。
経営者は、法人個人に関わらず、社員の福利厚生や日常的な生活の保障、また法人としての社会的責任や税負担に加えて、自己の生活を守る責任を一手に背負っております。
災害の規模は、25兆円を超えるとも言われ、GDPを0.5%押し下げるとも言われます。
復興に掛るお金は10兆円でも不足すると言われます。
当該地方の経済、生活もずたずたになってしまいました。
復興と言っても10年20年かかる事でしょう。
ですが市民生活回復はそんなに待てるものではありません。
待ったなしの状態ですが、政府、自治体がどんな復興計画を打ち出すのでしょうか。
贅沢な事を望む訳ではありませんが、せめてこれからの生活を維持するにふさわしい程度の復興は1日も早く遂げて欲しいものです。
とりわけ、生活の基盤を支えているのは経済活動であり、言わずとも企業活動が活力を取り戻さないと決してもとには戻らないでしょう。
その為にも、従来の経営者たちが、もう一度力を振り絞って立ちあがって欲しいものです。
仕事が眼前にあり、労働の確保が出来れば、笑顔も戻り生活の糧が出来ると言うものです。
政府の補助金、助成金も早く目途を立ててあげて、早い立ち上がりを支えてあげて欲しいものです。
銀行を始めとして、金融機関もあと少し門戸を開いてあげて大いなる支援をして差し上げて欲しいですね。
経営者が、気力を失い、挫折の日々を送っていては社会全体の活力を削いでしまいます。
小さな商店や零細企業でもそうです。
今一度勇気を振り絞って立ちあがりましょう。
マスコミなどの報道をみていると、個人の事に終始することが多いようですが、実は多くの人々に希望を与え、働くことで生活資金の確保ができ、多くのお客様や社員仲間との交流や触れ合いを通じて、今一度賑やかで活性化の道を歩み始めるのは早くお店や企業が立ちあがることです。
経営者たちよ頑張れ。
全国の経営者が応援しています。
Posted by misterkei0918 at
09:04
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2011年03月22日
「謙虚であればあるほど美しい」
「謙虚であればあるほど美しい」
福岡市南区にある学校の近くを車で走っていましたら、電柱の掲示にこのような言葉が出ていました。
謙虚になるのもなかなか難しいものですよね。
何処までが謙虚で、何処からがそうでなくなるのか。
以前のブログでも謙虚のタイトルで書いたような気がしますが、どんな内容だったのかも忘れてしまいました。
意味を調べてみました。
謙虚の謙:
へりくだる、ゆずる、自分をおさえて人にゆずる(人の下につく)、みちたりる、こころよい、満足のさま、つつしむ、正しく整った言葉づかい・・・・・
謙虚の虚:
存在しない、中にものがない、から、内容がない、才能・欲望などがない、うつろ、はかない・・・・・
謙虚:
へりくだる、心をむなしくして、高ぶらないこと。
では、謙虚とはどういう事なのでしょうかね。
大勢で行動している、話し合いをしている状況を思い浮かべると理解しやすそうです。
普段の言葉として、
出しゃばるとか、逆に引っ込み思案とかを思い浮かべます。
出しゃばるは、自らが勝手に先んじるとか、
人の感情や行動に細かい配慮や想いが働かないとか、
能力もないのに、勢いだけが先走る様子が浮かんだり、
場合によっては人の神経を逆なでする、
過ぎると人間関係まで可笑しくなる・・・・・
引っ込み思案は、
自分の能力を過小評価している、
遠慮が過ぎる、
性格的に、人をリード出来ない、
恥ずかしさが先に立つ、
端でみていて、じれったくなる・・・・・
やはり謙虚は、
思慮深さを感じる、
人としての器量が大きい、
度量の深さを感じる、
「能ある鷹は爪を隠す」が如き、
深謀遠慮、
心の広さを感じさせる、
人間が出来ている、
いざという時にこそ力を発揮する、
ふところの深さ、
心の温かさ、
人を思いやり大切にする・・・・・
そんなイメージですかね。
本当に謙虚さからくる言動なのか、
引っ込み思案なのか、面倒くさがりなのか、人嫌いから来るのか、難しい判断が伴いそうですが、人の本来の姿はやはり滲み出るもののような気がします。
彷彿とした人柄や、温厚な態度など、端でみていると人間は大よそ見抜けるものです。
でも、謙虚が過ぎると困ったものですよね。
謙虚もあり、率先する時もあり、大いにリーダーシップを発揮する時もないと困るものです。
「謙虚であればあるほど美しい」と言う事ではなく、やはりバランス感覚がものを言うような気がします。
福岡市南区にある学校の近くを車で走っていましたら、電柱の掲示にこのような言葉が出ていました。
謙虚になるのもなかなか難しいものですよね。
何処までが謙虚で、何処からがそうでなくなるのか。
以前のブログでも謙虚のタイトルで書いたような気がしますが、どんな内容だったのかも忘れてしまいました。
意味を調べてみました。
謙虚の謙:
へりくだる、ゆずる、自分をおさえて人にゆずる(人の下につく)、みちたりる、こころよい、満足のさま、つつしむ、正しく整った言葉づかい・・・・・
謙虚の虚:
存在しない、中にものがない、から、内容がない、才能・欲望などがない、うつろ、はかない・・・・・
謙虚:
へりくだる、心をむなしくして、高ぶらないこと。
では、謙虚とはどういう事なのでしょうかね。
大勢で行動している、話し合いをしている状況を思い浮かべると理解しやすそうです。
普段の言葉として、
出しゃばるとか、逆に引っ込み思案とかを思い浮かべます。
出しゃばるは、自らが勝手に先んじるとか、
人の感情や行動に細かい配慮や想いが働かないとか、
能力もないのに、勢いだけが先走る様子が浮かんだり、
場合によっては人の神経を逆なでする、
過ぎると人間関係まで可笑しくなる・・・・・
引っ込み思案は、
自分の能力を過小評価している、
遠慮が過ぎる、
性格的に、人をリード出来ない、
恥ずかしさが先に立つ、
端でみていて、じれったくなる・・・・・
やはり謙虚は、
思慮深さを感じる、
人としての器量が大きい、
度量の深さを感じる、
「能ある鷹は爪を隠す」が如き、
深謀遠慮、
心の広さを感じさせる、
人間が出来ている、
いざという時にこそ力を発揮する、
ふところの深さ、
心の温かさ、
人を思いやり大切にする・・・・・
そんなイメージですかね。
本当に謙虚さからくる言動なのか、
引っ込み思案なのか、面倒くさがりなのか、人嫌いから来るのか、難しい判断が伴いそうですが、人の本来の姿はやはり滲み出るもののような気がします。
彷彿とした人柄や、温厚な態度など、端でみていると人間は大よそ見抜けるものです。
でも、謙虚が過ぎると困ったものですよね。
謙虚もあり、率先する時もあり、大いにリーダーシップを発揮する時もないと困るものです。
「謙虚であればあるほど美しい」と言う事ではなく、やはりバランス感覚がものを言うような気がします。
Posted by misterkei0918 at
19:57
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2011年03月22日
5歳の頃の事を忘れなさい!!
5歳の頃の事を忘れなさい!!
人はどうしても離れる事の出来ないトラウマに捕えられている事があるものです。
或いはそれに気づかないでもがき苦しんでいる事も少なくありません。
自分の悩みや苦しみの根源、言動の数々がそのようなことに左右されているとは普段では気づく由もありません。
私も色んな事で悩みましたが、克服するには大変な労苦が伴ったものです。
今でも、完全に克服したとは思えませんが。
昨日は家内と二人で映画へ出かけました。
「英国王のスピーチ」
一場面で聞いた言葉ですが、少し表現が異なっているかもしれません。
悩まされる吃音を克服する物語。
ご覧になっていない人の為になりませんから多くを記載しませんが、幼い頃に受けた様々の仕打ちによって人間がどんなに困難な状況を抱え込むことになってしまうのか。
偉大な父親を失い、英国王になった長男の不測の事態によって王位につかざるを得ない「ジョージ6世」の吃音(どもり)との戦いの物語。
トラウマを調べてみました。
*****************************
『1917年心理学者フロイトが説いたもので、
物理的な外傷が後遺症となると同じように、過去の強い心理的な傷がその後も精神的障害をもたらすとするもの。
トラウマとは心理的に受けたひどいショックや生命に関わる体験、体験時に心に受けた精神的、心的外傷のこと。
トラウマは、本人がうけた体験のことだけを言うのではなく、事故や事件を目撃したり、身近な人が傷ついたり、自殺を目撃したりすることも含まれる。
死への恐怖や絶望感、不安などが心に深い傷をつけるのだと考えられています。
「トラウマ」という言葉そのものはギリシア語で“外傷”という意味ですが、体に負った傷(怪我)が後遺症になることがあるように、心に受けた傷も後遺症として精神的障害をもたらすと心理学者のフロイトによって「精神的外傷」という意味で定義付けられ、一般に広がっていきました。
トラウマは、いじめにおける無視や仲間はずれ、人前で非常恥ずかしい思いをしたりなど、何気ない日常が原因になることもあります。
トラウマの症状は、トラウマを抱える本人の身体や社会生活に多大な影響を与えるだけではなく、気持ちや不安、行動が周囲に理解されにくいという面があり、受けた傷に拍車をかけることもあるようです。
また、家族や身近な友人、同僚たちもどう接すればいいのかがわからず、とまどうことが多いと考えれています。
トラウマには、災害や自己などによる急性トラウマと、家庭内の虐待やいじめなど慢性的なトラウマがあります。』
*****************************
特に小さい頃に、親や兄弟、周囲から受ける精神的な苦痛は大人になってから様々な形で現れてみたり、本人を原因の分からない苦しみに追いやるものです。
最も信頼を寄せねばならない人からの言動が特に衝撃が多いように感じます。
この映画からも多くの事を学びました。
人はどうしても離れる事の出来ないトラウマに捕えられている事があるものです。
或いはそれに気づかないでもがき苦しんでいる事も少なくありません。
自分の悩みや苦しみの根源、言動の数々がそのようなことに左右されているとは普段では気づく由もありません。
私も色んな事で悩みましたが、克服するには大変な労苦が伴ったものです。
今でも、完全に克服したとは思えませんが。
昨日は家内と二人で映画へ出かけました。
「英国王のスピーチ」
一場面で聞いた言葉ですが、少し表現が異なっているかもしれません。
悩まされる吃音を克服する物語。
ご覧になっていない人の為になりませんから多くを記載しませんが、幼い頃に受けた様々の仕打ちによって人間がどんなに困難な状況を抱え込むことになってしまうのか。
偉大な父親を失い、英国王になった長男の不測の事態によって王位につかざるを得ない「ジョージ6世」の吃音(どもり)との戦いの物語。
トラウマを調べてみました。
*****************************
『1917年心理学者フロイトが説いたもので、
物理的な外傷が後遺症となると同じように、過去の強い心理的な傷がその後も精神的障害をもたらすとするもの。
トラウマとは心理的に受けたひどいショックや生命に関わる体験、体験時に心に受けた精神的、心的外傷のこと。
トラウマは、本人がうけた体験のことだけを言うのではなく、事故や事件を目撃したり、身近な人が傷ついたり、自殺を目撃したりすることも含まれる。
死への恐怖や絶望感、不安などが心に深い傷をつけるのだと考えられています。
「トラウマ」という言葉そのものはギリシア語で“外傷”という意味ですが、体に負った傷(怪我)が後遺症になることがあるように、心に受けた傷も後遺症として精神的障害をもたらすと心理学者のフロイトによって「精神的外傷」という意味で定義付けられ、一般に広がっていきました。
トラウマは、いじめにおける無視や仲間はずれ、人前で非常恥ずかしい思いをしたりなど、何気ない日常が原因になることもあります。
トラウマの症状は、トラウマを抱える本人の身体や社会生活に多大な影響を与えるだけではなく、気持ちや不安、行動が周囲に理解されにくいという面があり、受けた傷に拍車をかけることもあるようです。
また、家族や身近な友人、同僚たちもどう接すればいいのかがわからず、とまどうことが多いと考えれています。
トラウマには、災害や自己などによる急性トラウマと、家庭内の虐待やいじめなど慢性的なトラウマがあります。』
*****************************
特に小さい頃に、親や兄弟、周囲から受ける精神的な苦痛は大人になってから様々な形で現れてみたり、本人を原因の分からない苦しみに追いやるものです。
最も信頼を寄せねばならない人からの言動が特に衝撃が多いように感じます。
この映画からも多くの事を学びました。
Posted by misterkei0918 at
06:24
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2011年03月19日
一人ひとりはみんなの為に
一人ひとりはみんなの為に
私どもは誰の為に何のためにこの世に来たのでしょうかね。
青春時代は、なぜ自分はこの世に生まれてきたのか?
生んでくれなくても良かったのに!!
いっその事、いなくなりたい!!
とか強く考えたものです。
人は必ず必要とされる時があるような気がするのです。
だからこの世に生を受けているのでしょうからね。
必要だからこそ、この世に生まれてきていると思うのです。
最近は子供が出来たから結婚するとか、
行きがかり上、ついつい子供が出来てしまったとか・・・・・
でもそのことを問う事はしたくありません。
それでも必要とされて生まれてきたのです。
必ずやそこに必然性、必要性があったのです。
なぜなのでしょうかね。
当然、そこに生命がある事だけでも自然界においては大事なことでしょうし、遺伝的にも多くの個体が存在することが優生的な遺伝、DNAを作る意味でも大切なことである事は間違いがありません。
生物学的に言えばそんなことでしょうが、極めて高度な知識を持って極めて複雑な精神作用を持つ人間としてはもっと高度なことなのではないでしょうか。
当然、身近な家族を養うとか、
支えるとか、
安心の確保や、
命を支えるための努力、
社会を支える為・・・・・
色んな役割を帯びていると思いますが、最大の理由は人間としての支えあいの為に生れてきているような気がするのです。
人間は一人では生きて行けないように仕組まれています。
二人以上、或いは大勢であればこそ、楽しく生きがいを甘受しながら生きていけるように出来ているのです。
この度の震災は、これまでも幾多の困難を乗り越えてきた日本人に敢えて困難を与えているようなな気がしないでもありません。
お亡くなりになった方々、被災を受けられた方々には大変に気の毒なことでありますし頑張って頂きたいと思っています。
もう起こってしまいました。
後はどのように助け合い、立ち直り、お互いがどのように助け合うかを考えるしかないのです。
イギリスのBBC放送のコメンテーターが言っていたようです。
「日本人が有史以来、大変な時期をいくつも乗り越えてきている。
今回の出来事も見事に乗り越えて、また新しい繁栄に向かって歩み始める」と。
私どもが、想いを一つにして被災されている方々の為に何ができるのか。
「一人ひとりはみんなの為に」
いまこそ、日本人の真骨頂であった思いやりの気持ちを奮い立たせ、自分はみんなの為に生れてきた実感を共有したいものです。
私どもは誰の為に何のためにこの世に来たのでしょうかね。
青春時代は、なぜ自分はこの世に生まれてきたのか?
生んでくれなくても良かったのに!!
いっその事、いなくなりたい!!
とか強く考えたものです。
人は必ず必要とされる時があるような気がするのです。
だからこの世に生を受けているのでしょうからね。
必要だからこそ、この世に生まれてきていると思うのです。
最近は子供が出来たから結婚するとか、
行きがかり上、ついつい子供が出来てしまったとか・・・・・
でもそのことを問う事はしたくありません。
それでも必要とされて生まれてきたのです。
必ずやそこに必然性、必要性があったのです。
なぜなのでしょうかね。
当然、そこに生命がある事だけでも自然界においては大事なことでしょうし、遺伝的にも多くの個体が存在することが優生的な遺伝、DNAを作る意味でも大切なことである事は間違いがありません。
生物学的に言えばそんなことでしょうが、極めて高度な知識を持って極めて複雑な精神作用を持つ人間としてはもっと高度なことなのではないでしょうか。
当然、身近な家族を養うとか、
支えるとか、
安心の確保や、
命を支えるための努力、
社会を支える為・・・・・
色んな役割を帯びていると思いますが、最大の理由は人間としての支えあいの為に生れてきているような気がするのです。
人間は一人では生きて行けないように仕組まれています。
二人以上、或いは大勢であればこそ、楽しく生きがいを甘受しながら生きていけるように出来ているのです。
この度の震災は、これまでも幾多の困難を乗り越えてきた日本人に敢えて困難を与えているようなな気がしないでもありません。
お亡くなりになった方々、被災を受けられた方々には大変に気の毒なことでありますし頑張って頂きたいと思っています。
もう起こってしまいました。
後はどのように助け合い、立ち直り、お互いがどのように助け合うかを考えるしかないのです。
イギリスのBBC放送のコメンテーターが言っていたようです。
「日本人が有史以来、大変な時期をいくつも乗り越えてきている。
今回の出来事も見事に乗り越えて、また新しい繁栄に向かって歩み始める」と。
私どもが、想いを一つにして被災されている方々の為に何ができるのか。
「一人ひとりはみんなの為に」
いまこそ、日本人の真骨頂であった思いやりの気持ちを奮い立たせ、自分はみんなの為に生れてきた実感を共有したいものです。
Posted by misterkei0918 at
09:44
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2011年03月18日
日本人の美徳「譲り合い、互譲の精神」
日本人の美徳「譲り合い、互譲の精神」
「強きを挫(くじ)いて、弱きを助ける」
昔は良くこのように諭されたものです。
子供、
お年寄り、
女性、
弱い立場の人・・・・・
片や、
理不尽な権力者、
弱い者いじめをする奴、
他人に迷惑を掛ける者・・・・・
「長いものには巻かれろ」などと言うように強いもの、権力にはなかなか逆らいにくいものです。
ですが、命を脅かすもの、人権や尊厳を蔑(ないがしろ)にするものには力を合わせてでも抵抗、戦わないといけませんよね。
昔から、日本人の美徳を語られますが、その一つが「譲り合い、互譲の精神」と言われます。
それは世界中どこでも同じじゃないかと言われそうですが、日常ではそうなんです。
極端な恐怖政治や抑圧された状態もそうですが、自分の命や尊厳が正常に保たれている世の中、公平さや民主が保たれている社会では本来の国民性は表面化しませんが、一旦緩急あった時に表面化してくるものです。
この度の震災で、日本人の際立った行動が注目を集めていること。
それが「譲り合い、互譲の精神」ですよね。
端的に言えば「この落ち着きは何処から来るのか」でしょうか。
以前、藤原先生の「国家の品格」の中にも記載されていたような気もしますが同じ日本国民として見ていても不思議な感じですよね。
多分、DNA的に備わっているのでしょうね
また、内面的にも強いのでしょうか。
昔から、災害と戦ってきた国という見方もあるのでしょうが、宗教的なこと、道徳面でも裏打ちされたものがあるものと思われます。
「自分の主張をはっきり言わない」
「何を考えているかわからない」なども「譲り合い、互譲の精神」の表れかもしれませんし、
片や、
「纏まる、集団になると力を発揮する」等は悪い意味で使われますがこれもそうかもしれませんね。
ですが、例えそうであっても誰がどう言おうと大事にしたいものです。
「譲り合い、互譲の精神」
相手の立場を尊重することにも繋がるのですから。
救援物資の不足にも関わらず、慌てず騒がず、落ち着き払った日本人。
背負いきれない過度の悲しみや苦しみに遭遇しても、自らの利益のみを尊重せず「譲り合い、互譲の精神」。
やせ我慢でなく、心の底から意識することなく滲み出る「譲り合い、互譲の精神」
いつまでも大切にしたいものですね。
「強きを挫(くじ)いて、弱きを助ける」
昔は良くこのように諭されたものです。
子供、
お年寄り、
女性、
弱い立場の人・・・・・
片や、
理不尽な権力者、
弱い者いじめをする奴、
他人に迷惑を掛ける者・・・・・
「長いものには巻かれろ」などと言うように強いもの、権力にはなかなか逆らいにくいものです。
ですが、命を脅かすもの、人権や尊厳を蔑(ないがしろ)にするものには力を合わせてでも抵抗、戦わないといけませんよね。
昔から、日本人の美徳を語られますが、その一つが「譲り合い、互譲の精神」と言われます。
それは世界中どこでも同じじゃないかと言われそうですが、日常ではそうなんです。
極端な恐怖政治や抑圧された状態もそうですが、自分の命や尊厳が正常に保たれている世の中、公平さや民主が保たれている社会では本来の国民性は表面化しませんが、一旦緩急あった時に表面化してくるものです。
この度の震災で、日本人の際立った行動が注目を集めていること。
それが「譲り合い、互譲の精神」ですよね。
端的に言えば「この落ち着きは何処から来るのか」でしょうか。
以前、藤原先生の「国家の品格」の中にも記載されていたような気もしますが同じ日本国民として見ていても不思議な感じですよね。
多分、DNA的に備わっているのでしょうね
また、内面的にも強いのでしょうか。
昔から、災害と戦ってきた国という見方もあるのでしょうが、宗教的なこと、道徳面でも裏打ちされたものがあるものと思われます。
「自分の主張をはっきり言わない」
「何を考えているかわからない」なども「譲り合い、互譲の精神」の表れかもしれませんし、
片や、
「纏まる、集団になると力を発揮する」等は悪い意味で使われますがこれもそうかもしれませんね。
ですが、例えそうであっても誰がどう言おうと大事にしたいものです。
「譲り合い、互譲の精神」
相手の立場を尊重することにも繋がるのですから。
救援物資の不足にも関わらず、慌てず騒がず、落ち着き払った日本人。
背負いきれない過度の悲しみや苦しみに遭遇しても、自らの利益のみを尊重せず「譲り合い、互譲の精神」。
やせ我慢でなく、心の底から意識することなく滲み出る「譲り合い、互譲の精神」
いつまでも大切にしたいものですね。
Posted by misterkei0918 at
23:52
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2011年03月17日
辛酸を舐めた間柄であればこそ
辛酸を舐めた間柄であればこそ
人の関係は、長く続いてこその物のようです。
短期間、短時間であればどこにでも人間関係は存在しますが、お互いが絶対的な信頼に裏打ちされた関係はそんなに簡単に構築できるものではなさそうです。
「袖すりあうも多生の縁」などと言いますが、只袖を擦りすだけで多少の縁が作り上げられるならそれは人生の話ではなく、行きがかりの話に過ぎないものです。
袖すりあうは、きっかけであって全てではありません。
このたびの歴史的な震災は、大変不幸なことではありますが人々が自然発生的により深い繋がりや人間関係が様々な形で、様々な場所で作り上げられていくものと信じています。
震災に遭遇したもの同志、
助けた人、助けられた人、
支援をする人、される人・・・・・
やはりつらい悲しい体験は人の距離を短くし、より深い関係へと誘ってくれるもの。
喜びの共有体験よりも、悲しみや辛さは涙を伴うだけに人の関係をただの関わりだけに済ませないものが存在します。
辛酸を舐めた間柄であればこそであります。
『辛いという字がある。もう少しで、幸せになれそうな字である。星野富弘』
『どんな幸運な人間でも、一度は死にたい程悲しくて辛いことがある。井上靖「月光」』
『苦労人というのは、ややこしい苦境を優雅に切り抜ける人のことである。サマセットモーム』
人の関係は、長く続いてこその物のようです。
短期間、短時間であればどこにでも人間関係は存在しますが、お互いが絶対的な信頼に裏打ちされた関係はそんなに簡単に構築できるものではなさそうです。
「袖すりあうも多生の縁」などと言いますが、只袖を擦りすだけで多少の縁が作り上げられるならそれは人生の話ではなく、行きがかりの話に過ぎないものです。
袖すりあうは、きっかけであって全てではありません。
このたびの歴史的な震災は、大変不幸なことではありますが人々が自然発生的により深い繋がりや人間関係が様々な形で、様々な場所で作り上げられていくものと信じています。
震災に遭遇したもの同志、
助けた人、助けられた人、
支援をする人、される人・・・・・
やはりつらい悲しい体験は人の距離を短くし、より深い関係へと誘ってくれるもの。
喜びの共有体験よりも、悲しみや辛さは涙を伴うだけに人の関係をただの関わりだけに済ませないものが存在します。
辛酸を舐めた間柄であればこそであります。
『辛いという字がある。もう少しで、幸せになれそうな字である。星野富弘』
『どんな幸運な人間でも、一度は死にたい程悲しくて辛いことがある。井上靖「月光」』
『苦労人というのは、ややこしい苦境を優雅に切り抜ける人のことである。サマセットモーム』
Posted by misterkei0918 at
00:33
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2011年03月16日
想いは熱いうちに・・・支援物資、義捐金
想いは熱いうちに・・・支援物資、義捐金
「鉄は熱いうちに打て」と言います。
高ぶった気持ちも熱いうちに燃やさないと、時間とともに静まっていくものです。
人の心は不思議ですよね。
あんなに、情熱を持って語っていたのに後かけらもなく忘れてしまったり。
東北関東大震災は大変な惨状を呈しております。
津波の恐ろしさを見事に見せつけられた感じです。
また、福島の原子力発電所も予断を許さない、緊張した事態です。
大惨事にならねばいいのですが。
この始末次第では、今後の電力開発に大きな影響を及ぼすとともに禍根を残すこともあり得ますよね。
追い打ちを掛けるように、長野県での地震、
昨日は静岡県での震度6強の地震。
日本列島はどうなったのでしょうか。
昔、日本沈没という映画がヒットしたことがありますがまさしくそれを彷彿とさせます
被災された方の悲痛な思いや姿に涙した方々も多いと存じます。
世界が色んな意味で日本を注視しています。
どのような立ち直り方をするか、どのようにして以前の日本に戻って行くのか、あるいはそれ以上に逞しい日本として蘇って行くのか。
国民の全てが、何かのお役に立ちたい、少しでも支えになりたい等と心の底から考えているものです。
その思いも時間の経過とともに、薄れて行くのが一般的であります。
行動に移すなら、時期や時間を選ばず即行動に移すことではないでしょうか。
人の様子を伺ってから、他人がどのような行動をするのか考えているようでは薄れる気持ちに勝てないかもしれませんね。
やるなら今。
行動に移すなら、心が熱く燃えている時に限ります。
若い頃の恋愛を考えてみたら分かりますよね。
燃え上がっている内に行動にしないと、気持ちは伝わりませんし、相手にも伝わらず決していい結果は生まないものです。
「急げば回れ」ではいけません。
「思いが熱いうちにこそ価値がありそうです」
「鉄は熱いうちに打て」と言います。
高ぶった気持ちも熱いうちに燃やさないと、時間とともに静まっていくものです。
人の心は不思議ですよね。
あんなに、情熱を持って語っていたのに後かけらもなく忘れてしまったり。
東北関東大震災は大変な惨状を呈しております。
津波の恐ろしさを見事に見せつけられた感じです。
また、福島の原子力発電所も予断を許さない、緊張した事態です。
大惨事にならねばいいのですが。
この始末次第では、今後の電力開発に大きな影響を及ぼすとともに禍根を残すこともあり得ますよね。
追い打ちを掛けるように、長野県での地震、
昨日は静岡県での震度6強の地震。
日本列島はどうなったのでしょうか。
昔、日本沈没という映画がヒットしたことがありますがまさしくそれを彷彿とさせます
被災された方の悲痛な思いや姿に涙した方々も多いと存じます。
世界が色んな意味で日本を注視しています。
どのような立ち直り方をするか、どのようにして以前の日本に戻って行くのか、あるいはそれ以上に逞しい日本として蘇って行くのか。
国民の全てが、何かのお役に立ちたい、少しでも支えになりたい等と心の底から考えているものです。
その思いも時間の経過とともに、薄れて行くのが一般的であります。
行動に移すなら、時期や時間を選ばず即行動に移すことではないでしょうか。
人の様子を伺ってから、他人がどのような行動をするのか考えているようでは薄れる気持ちに勝てないかもしれませんね。
やるなら今。
行動に移すなら、心が熱く燃えている時に限ります。
若い頃の恋愛を考えてみたら分かりますよね。
燃え上がっている内に行動にしないと、気持ちは伝わりませんし、相手にも伝わらず決していい結果は生まないものです。
「急げば回れ」ではいけません。
「思いが熱いうちにこそ価値がありそうです」
Posted by misterkei0918 at
23:54
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2011年03月14日
「強い国」日本・・・歴史がつくる?
「強い国」日本・・・歴史がつくる?
大変な事態が発生したものです。
どうしても、個人でしか解決の出来ない事、
みんなで力を合わせれば、解決できること・・・・・
があります。
このたびの歴史的な震災は、みんなで力を合わせれば解決できる部分がたくさん存在します。
周りの方々を巻き込んで、支援の輪を少しでも大きくしなくてはいけません。
それが今までの日本の姿であって、所以であると思います。
歴史的にも何処の国よりも多くの大きな災害にも遭遇する日本ですが、何度も何度も乗り越えてきたのです。
それが長い歴史の中で育まれてきました。
涙をぬぐいながら、耐え忍びながら、力を寄せ合って、心を一つにするすべをDNAとして受け継いで大事に育ててきたのです。
それは世界に類例のない日本国の歴史が作り上げてきた物に他ならないのです。
悲しみを乗り越える事は、時間を要することですし、想像を超える苦しみ、葛藤を伴います。
ましてや肉親や友人知人を失った悲しみ、
汗水垂らして積み上げた財産を失った挫折、
社会の絆や構造を失う事は、極めて耐えがたい状況です。
日本国民は、こぞって力を合わせる心根を失ってはいないのです。
みんなで声を掛け合って、同胞の為にこの時こそ頑張らないといけませんね。
力を振り絞って、乗り越えた暁の事を国民みんなで描きながら。
きっと世界に冠たる日本の姿が再び見えるような気がします。
先日、日本での災害に遭遇した中国の知人の話を記載しましたが、
今朝のネット上の記事にこんなものがありました。
『「怒鳴り合いもけんかもない」「本当に強い国だけがこうした対応ができる」。
ベトナムのメディアは、東日本大震災での日本人の冷静な対応ぶりを、在日ベトナム人らが驚き称賛する声を伝えた。
「防災訓練を受けていても怖いはずなのに、誰もパニックに陥る人はいない。自分の仕事に集中し、連絡を取り合っていた」。日本で働くある女性はインターネット新聞に「われわれが学ぶべき多くのことが分かった」と語った。
ある留学生は、長い列をつくってバスや公衆電話を我慢強く待つ光景などを挙げ「皆が冷静に秩序だって行動していた」と称賛。別の留学生は、教師が子どもたちを誘導する姿など、行政当局者から民間人までの素早い対応ぶりに驚いたという。
さらに「こうした強さゆえに、日本人は世界で最も厳しい条件の国土で生き抜き、米国に並ぶ経済レベルを達成できたのだ」とたたえる声も伝えられた。(共同)』
大変な事態が発生したものです。
どうしても、個人でしか解決の出来ない事、
みんなで力を合わせれば、解決できること・・・・・
があります。
このたびの歴史的な震災は、みんなで力を合わせれば解決できる部分がたくさん存在します。
周りの方々を巻き込んで、支援の輪を少しでも大きくしなくてはいけません。
それが今までの日本の姿であって、所以であると思います。
歴史的にも何処の国よりも多くの大きな災害にも遭遇する日本ですが、何度も何度も乗り越えてきたのです。
それが長い歴史の中で育まれてきました。
涙をぬぐいながら、耐え忍びながら、力を寄せ合って、心を一つにするすべをDNAとして受け継いで大事に育ててきたのです。
それは世界に類例のない日本国の歴史が作り上げてきた物に他ならないのです。
悲しみを乗り越える事は、時間を要することですし、想像を超える苦しみ、葛藤を伴います。
ましてや肉親や友人知人を失った悲しみ、
汗水垂らして積み上げた財産を失った挫折、
社会の絆や構造を失う事は、極めて耐えがたい状況です。
日本国民は、こぞって力を合わせる心根を失ってはいないのです。
みんなで声を掛け合って、同胞の為にこの時こそ頑張らないといけませんね。
力を振り絞って、乗り越えた暁の事を国民みんなで描きながら。
きっと世界に冠たる日本の姿が再び見えるような気がします。
先日、日本での災害に遭遇した中国の知人の話を記載しましたが、
今朝のネット上の記事にこんなものがありました。
『「怒鳴り合いもけんかもない」「本当に強い国だけがこうした対応ができる」。
ベトナムのメディアは、東日本大震災での日本人の冷静な対応ぶりを、在日ベトナム人らが驚き称賛する声を伝えた。
「防災訓練を受けていても怖いはずなのに、誰もパニックに陥る人はいない。自分の仕事に集中し、連絡を取り合っていた」。日本で働くある女性はインターネット新聞に「われわれが学ぶべき多くのことが分かった」と語った。
ある留学生は、長い列をつくってバスや公衆電話を我慢強く待つ光景などを挙げ「皆が冷静に秩序だって行動していた」と称賛。別の留学生は、教師が子どもたちを誘導する姿など、行政当局者から民間人までの素早い対応ぶりに驚いたという。
さらに「こうした強さゆえに、日本人は世界で最も厳しい条件の国土で生き抜き、米国に並ぶ経済レベルを達成できたのだ」とたたえる声も伝えられた。(共同)』
Posted by misterkei0918 at
08:45
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2011年03月12日
恐怖ともどかしさ・・・東北・太平洋沿岸地震
恐怖ともどかしさ・・・東北・太平洋沿岸地震
昨日の午後、3時頃からの地震のニュースには釘付けになってしまいました。
まるで映画の一シーンさながらの出来ごとに唖然とするばかりです。
自然の猛威の前には人間など脆いものですが、人の命や暮らしを失う事は何にも増して悲しいことです。
我が身に置き換えて考えれば当然分かる事ですが。
丁度学生たちが春休みに入っていますので。ボランティアとしてその力を発揮して頂きたいと思います。
以前の新潟や神戸の時の。ボランティア活動が十分に生かすことができることを願っています。
折角の若い方々の力を存分に発揮して頂くためにも。
当然、激甚災害に指定されるものと思っていますが、金銭的な意味も含めて十分な手当てと復興を願って止みません。
支え合いの心、共生の思いこそが日本人が持ってる最大の国民性のような気がします。
今までも数度の極度の災害に見舞われた日本ですが、私の友人である中国の女性たちも言います。
「日本人は素晴らしい」
「この場に及んだ日本人のこの優しい行動は何なのか」
「自分の事は後にして、譲り合う姿に感銘する」
「整然とした、落ち着いた行動は何故?」
・
・
日本に留学などで来ていた子供たちが中国のネットで日本の印象を書いてくれていますが称賛の言葉のオンパレードです。
マグニチュード8.8という最大の地震規模になっています。
その後も余震も続いていますが、また違う場所・長野や新潟などでも新しい地震が発生しているようです。
国際的にも様々な問題を抱え、国内政治は悲しい限りのみっともない状況、中小零細企業にとって経済的には景気回復等と言う事はもうあり得ないような事態に陥っています。
でも日本人。
多分、国際的な協力も仰ぎながらも必ずや復興の道を逞しく歩んでいくものと信じています。
今一人ひとりが何ができるのか。
真剣に考えるときでしょう。
お金で出来る人、
体で出来る人、
祈ってくれる人、
時間を割いてくれる人、
知恵を絞ってくれる人、
政治の力を存分に発揮する人、
行政人として賭して頑張る人、
医者として、命と心のケアに心を砕く人、
物を提供する人、
・
・
私の心の中で「恐怖ともどかしさ」が交錯しています。
今回の事態は、大変に悲しい不幸なことではありますが、日本人としての志を発揮し、見せつける時が来た!!こんな思いに駆られます。
頑張って下さいませ。
昨日の午後、3時頃からの地震のニュースには釘付けになってしまいました。
まるで映画の一シーンさながらの出来ごとに唖然とするばかりです。
自然の猛威の前には人間など脆いものですが、人の命や暮らしを失う事は何にも増して悲しいことです。
我が身に置き換えて考えれば当然分かる事ですが。
丁度学生たちが春休みに入っていますので。ボランティアとしてその力を発揮して頂きたいと思います。
以前の新潟や神戸の時の。ボランティア活動が十分に生かすことができることを願っています。
折角の若い方々の力を存分に発揮して頂くためにも。
当然、激甚災害に指定されるものと思っていますが、金銭的な意味も含めて十分な手当てと復興を願って止みません。
支え合いの心、共生の思いこそが日本人が持ってる最大の国民性のような気がします。
今までも数度の極度の災害に見舞われた日本ですが、私の友人である中国の女性たちも言います。
「日本人は素晴らしい」
「この場に及んだ日本人のこの優しい行動は何なのか」
「自分の事は後にして、譲り合う姿に感銘する」
「整然とした、落ち着いた行動は何故?」
・
・
日本に留学などで来ていた子供たちが中国のネットで日本の印象を書いてくれていますが称賛の言葉のオンパレードです。
マグニチュード8.8という最大の地震規模になっています。
その後も余震も続いていますが、また違う場所・長野や新潟などでも新しい地震が発生しているようです。
国際的にも様々な問題を抱え、国内政治は悲しい限りのみっともない状況、中小零細企業にとって経済的には景気回復等と言う事はもうあり得ないような事態に陥っています。
でも日本人。
多分、国際的な協力も仰ぎながらも必ずや復興の道を逞しく歩んでいくものと信じています。
今一人ひとりが何ができるのか。
真剣に考えるときでしょう。
お金で出来る人、
体で出来る人、
祈ってくれる人、
時間を割いてくれる人、
知恵を絞ってくれる人、
政治の力を存分に発揮する人、
行政人として賭して頑張る人、
医者として、命と心のケアに心を砕く人、
物を提供する人、
・
・
私の心の中で「恐怖ともどかしさ」が交錯しています。
今回の事態は、大変に悲しい不幸なことではありますが、日本人としての志を発揮し、見せつける時が来た!!こんな思いに駆られます。
頑張って下さいませ。
Posted by misterkei0918 at
10:23
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2011年03月11日
父親と兄弟?・・・戦争の悲劇
父親と兄弟?・・・戦争の悲劇
父親とは親子であって、兄弟と言う事は決してありませんよね。
世間の常識だし、あり得ないことです。
所が現実にあるんです。
ただ、親子が「俺たちは兄弟だ」とたわごとを言っているのではないのです。
戸籍上で親子に記載されている。
父親が長男で、子供のある筈の私が末の弟。
初めて自分の戸籍を見た時は、我が目を疑ったものでした。
「そんな事があるの?」
「どうして?」
高校時代までは、母と二人の暮らしでしたから当然戸籍はそのようになっているものと思っていたのです。
想像をした事もありませんでしたし、ましてや戸籍がどうなっているなどと考えた事もありませんでした。
遡ること数十年になりますが、つまりは父親と母親が私を身ごもりながら結婚が出来なかったんですね。
その事が引き金で、母は私の元から遥か遠くに旅立ってしまったのです。
多分、取り残された私を廻って、両方の親同志が話し合ったのでしょうね。
確認をした訳ではありませんから事の真実は分かりませんが。
その結果、私の戸籍は父親の両親の戸籍に入れることとなったのでしょう。
つまり父親と兄弟に。
私の体は、母親の両親、つまり私の母方の両親に育ててもらう事になりました。
話せば大変長い物語になりますから、ここでは省きますがそれはそれは大変な長い道のりを通ったものです。
その後、母親と初めて再開を果たすのですが、既に6歳を過ぎていたのです。
ここからがまた新たな葛藤を繰り返すことになってしまいました。
と言う訳で、父親が兄弟。
あり得た話なんです。
これも戦後の混乱の賜物であり、戦争が生んだ悲劇とでも言いましょうか。
悲劇と言っても、私自身の性格はそのようにして構築されたものですから決して恨み辛みを申し上げる訳ではないのです。
むしろそれが幸いしたとでも言いましょうか。
負け惜しみではないのです。
父親とは親子であって、兄弟と言う事は決してありませんよね。
世間の常識だし、あり得ないことです。
所が現実にあるんです。
ただ、親子が「俺たちは兄弟だ」とたわごとを言っているのではないのです。
戸籍上で親子に記載されている。
父親が長男で、子供のある筈の私が末の弟。
初めて自分の戸籍を見た時は、我が目を疑ったものでした。
「そんな事があるの?」
「どうして?」
高校時代までは、母と二人の暮らしでしたから当然戸籍はそのようになっているものと思っていたのです。
想像をした事もありませんでしたし、ましてや戸籍がどうなっているなどと考えた事もありませんでした。
遡ること数十年になりますが、つまりは父親と母親が私を身ごもりながら結婚が出来なかったんですね。
その事が引き金で、母は私の元から遥か遠くに旅立ってしまったのです。
多分、取り残された私を廻って、両方の親同志が話し合ったのでしょうね。
確認をした訳ではありませんから事の真実は分かりませんが。
その結果、私の戸籍は父親の両親の戸籍に入れることとなったのでしょう。
つまり父親と兄弟に。
私の体は、母親の両親、つまり私の母方の両親に育ててもらう事になりました。
話せば大変長い物語になりますから、ここでは省きますがそれはそれは大変な長い道のりを通ったものです。
その後、母親と初めて再開を果たすのですが、既に6歳を過ぎていたのです。
ここからがまた新たな葛藤を繰り返すことになってしまいました。
と言う訳で、父親が兄弟。
あり得た話なんです。
これも戦後の混乱の賜物であり、戦争が生んだ悲劇とでも言いましょうか。
悲劇と言っても、私自身の性格はそのようにして構築されたものですから決して恨み辛みを申し上げる訳ではないのです。
むしろそれが幸いしたとでも言いましょうか。
負け惜しみではないのです。
Posted by misterkei0918 at
23:21
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2011年03月11日
あなたの奥さまは大丈夫ですか?
あなたの奥さまは大丈夫ですか?
他人の奥さまの事にまで、口を出さないでくれと言われそうです。
今回の「第3号被保険者」の話です。
お役所は申請主義ですから、自ら進んで申請をしてくる人には優しいのですが、申請を忘れていたり、怠った人には厳しい処置がなされるものです。
今、問題になっている「第3号被保険者」の救済策の話は、最初から不公平で可笑しい話なのですがどうしてこんなことになったのでしょうかね。
少なくとも、これほど大事でお金もたくさん必要とされる救済策が表で十分に議論されることなく、厚生労働省の内部で短絡的に処置されており、拙速に過ぎたのではないでしょうか。
手続きを怠った人がたったの2年間さかのぼって支払えば、全ての期間支払ったものとして年金を支給するとしたものですが、当然、当初から申請をし、真面目に支払ってきた人と同じであれば誰だって不公平に思いますし、腹立たしくもなるものです。
誰が考えても、単純に分かる事だと思うのでうが優秀だと思われる官僚がこんな結論を出すものでしょうかね。
或いは大臣級の人間からの指示が働いた事は間違いがないでしょう。
脱サラをされたあなたの奥さまの場合は如何ですか。
マスコミなどで、年金は破たんするから払わなくてもいい、或いはかなり減額されて生活費にもならないなどと報道されます。
その事に惑わされて、年金を払わない、滞っている人がいるのではないでしょうか。
私は、自分の国の事ですから信じることにしています。
正直に真面目に払う。
若し国がどうにかなった時は、私も国民ですから一蓮托生だと思っています。
また、そうならないように政治家の選択も真剣にならざるを得ないものです。
「その国の政治のレベルは、国民のレベル」と言います。
私も若い頃、脱サラを致しました。
私の妻は当然「第3号被保険者」だったのです。
私自身には、年金の知識などありませんでしたがある時、申請をしておかないと妻は将来年金受給の資格がなくなると言う事を偶然に知ったのです。
すぐ国民年金に加入をさせましたので、今ではその事が結果的には幸いしているのです。
会社等に勤めていますと、年金などは余り勉強もしませんし詳しく知らなくても大事には至りませんが何か大きな変化などがあった時には、やはり情報を集めて将来困ったことにならないように努めなくてはいけませんね。
他人の奥さまの事にまで、口を出さないでくれと言われそうです。
今回の「第3号被保険者」の話です。
お役所は申請主義ですから、自ら進んで申請をしてくる人には優しいのですが、申請を忘れていたり、怠った人には厳しい処置がなされるものです。
今、問題になっている「第3号被保険者」の救済策の話は、最初から不公平で可笑しい話なのですがどうしてこんなことになったのでしょうかね。
少なくとも、これほど大事でお金もたくさん必要とされる救済策が表で十分に議論されることなく、厚生労働省の内部で短絡的に処置されており、拙速に過ぎたのではないでしょうか。
手続きを怠った人がたったの2年間さかのぼって支払えば、全ての期間支払ったものとして年金を支給するとしたものですが、当然、当初から申請をし、真面目に支払ってきた人と同じであれば誰だって不公平に思いますし、腹立たしくもなるものです。
誰が考えても、単純に分かる事だと思うのでうが優秀だと思われる官僚がこんな結論を出すものでしょうかね。
或いは大臣級の人間からの指示が働いた事は間違いがないでしょう。
脱サラをされたあなたの奥さまの場合は如何ですか。
マスコミなどで、年金は破たんするから払わなくてもいい、或いはかなり減額されて生活費にもならないなどと報道されます。
その事に惑わされて、年金を払わない、滞っている人がいるのではないでしょうか。
私は、自分の国の事ですから信じることにしています。
正直に真面目に払う。
若し国がどうにかなった時は、私も国民ですから一蓮托生だと思っています。
また、そうならないように政治家の選択も真剣にならざるを得ないものです。
「その国の政治のレベルは、国民のレベル」と言います。
私も若い頃、脱サラを致しました。
私の妻は当然「第3号被保険者」だったのです。
私自身には、年金の知識などありませんでしたがある時、申請をしておかないと妻は将来年金受給の資格がなくなると言う事を偶然に知ったのです。
すぐ国民年金に加入をさせましたので、今ではその事が結果的には幸いしているのです。
会社等に勤めていますと、年金などは余り勉強もしませんし詳しく知らなくても大事には至りませんが何か大きな変化などがあった時には、やはり情報を集めて将来困ったことにならないように努めなくてはいけませんね。
Posted by misterkei0918 at
09:09
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2011年03月10日
媚(こび)と迎合(げいごう)の時代
媚(こび)と迎合(げいごう)の時代
人は誰にでも出来れば好感を持たれて、良質な評価を貰いたいと思うものです。
八方美人は嫌ですが、せめて六方くらいは褒めて頂きたいと思うものです。
子供が親に媚を売る、
お客様に媚を売る、
・
・
そんなことは日常的にみる姿ではありますが、
本来毅然として、あるいは自分の信念や規範に基づいて行動して欲しい人々が余りにも評価や評判、支持を取り付けるために媚を売りすぎたり、迎合し過ぎてはいないでしょうか。
病院へ行っても、「患者さま」。
最近の国会をみると、「「国民の皆様・・・」
「国民の皆様にご理解を頂けるように・・・」
「国民の皆様にしっかりご説明を・・・」
「国民の皆様にご納得いただけるように・・・」
どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。
患者や国民を蔑(ないがしろ)にしてはいけませんが、元来、先生方は周囲の信頼を一手に受けて、それなりに研鑽や研究、勉強を重ね、率先して相手の安心、安寧の為に努力を重ねて人々の筈であります。
自信を持って、患者や国民を導く立場であった筈であります。
それが最近は、その地位に揺らぎがみられるようになってきました。
地位保全の為、存在価値確保の為でしょうが何かしら滑稽にも見えてきます。
国会の発言を目を閉じて聞いてみると何故かしら、可笑しくも感じます。
媚とは、
1 なまめかしくする。色っぽい。「媚態・媚薬」
2 こびへつらう。「佞媚(ねいび)」
3 あでやかで美しい。「風光明媚」・・・・・
迎合、阿附(あふ)迎合は、
相手の機嫌をとり、気に入られようとしてへつらいおもねること。
「阿附」は人の機嫌をとり、おもねり従うこと。
「迎合」は人の言動をなんでも受け入れ合わせること。
自分の考えを曲げてでも、他人の気に入るように調子を合わせること。
元来、私どもが先生方に望んでいるのは、そんな言動や思いではなかったのです。
人は誰にでも出来れば好感を持たれて、良質な評価を貰いたいと思うものです。
八方美人は嫌ですが、せめて六方くらいは褒めて頂きたいと思うものです。
子供が親に媚を売る、
お客様に媚を売る、
・
・
そんなことは日常的にみる姿ではありますが、
本来毅然として、あるいは自分の信念や規範に基づいて行動して欲しい人々が余りにも評価や評判、支持を取り付けるために媚を売りすぎたり、迎合し過ぎてはいないでしょうか。
病院へ行っても、「患者さま」。
最近の国会をみると、「「国民の皆様・・・」
「国民の皆様にご理解を頂けるように・・・」
「国民の皆様にしっかりご説明を・・・」
「国民の皆様にご納得いただけるように・・・」
どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。
患者や国民を蔑(ないがしろ)にしてはいけませんが、元来、先生方は周囲の信頼を一手に受けて、それなりに研鑽や研究、勉強を重ね、率先して相手の安心、安寧の為に努力を重ねて人々の筈であります。
自信を持って、患者や国民を導く立場であった筈であります。
それが最近は、その地位に揺らぎがみられるようになってきました。
地位保全の為、存在価値確保の為でしょうが何かしら滑稽にも見えてきます。
国会の発言を目を閉じて聞いてみると何故かしら、可笑しくも感じます。
媚とは、
1 なまめかしくする。色っぽい。「媚態・媚薬」
2 こびへつらう。「佞媚(ねいび)」
3 あでやかで美しい。「風光明媚」・・・・・
迎合、阿附(あふ)迎合は、
相手の機嫌をとり、気に入られようとしてへつらいおもねること。
「阿附」は人の機嫌をとり、おもねり従うこと。
「迎合」は人の言動をなんでも受け入れ合わせること。
自分の考えを曲げてでも、他人の気に入るように調子を合わせること。
元来、私どもが先生方に望んでいるのは、そんな言動や思いではなかったのです。
Posted by misterkei0918 at
23:21
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2011年03月08日
どうしてもの覚えが悪いのかと思ったら
どうしてもの覚えが悪いのかと思ったら
自分はどうしてもの覚えが悪いのかと思った事はありませんか。
私はいつもです。
所が、どうも自分の頭の中で選別しているような気がするのです。
覚えるもの、覚えなくていいもの、覚えたくないもの。
場合によっては、脳細胞の異常ではないかとか、若年性の認知症ではないかと心配にもなったりしますよね。
そのような人もいるかもしれませんが、人はどうも無意識の世界で拒否したり、受け入れたりする能力を備わっているような気がします。
或いは、全てを受け入れる人もいるでしょうし、ほんの少ししか受け入れない人、殆ど受け入れない人・・・・・様々なのではないでしょうか。
脳神経科の先生や心療内科、精神科の先生方ならご存知かもしれませんね。
どうも、生まれや育ち方、環境、教育、精神や健康、体の状態等によってそれぞれが造った、或いは形作られた精神構造とでも言うのでしょうか、そんな作用で記憶の力は作用されているような気がします。
私などは、全てで記憶する能力が弱いのかと思ったら、違う方面では人並み以上に物事を覚えていたりすることがあります。
大学の先生や芸術家などでも、自分の得意とする分野しか知らない人がいるかと思えば、ある人は色んな分野に優秀な能力を発揮する人もいます。
それでいいんですよね。
私などはどちらかと言うと悲観的、自虐的な人間ですので覚える力がないことに気落ちをしたり、先行きが不安になったりするものです。
人には与えられたそれぞれの特異性があって、興味のある所、気にもならない部分があるようです。
だから、そんなに心配は要らないようですよ。
40、50歳頃になって、途端にそのような現象が出てきたらいけません。
それこそ、認知症などの事に思いが走らないと。
自分はどうしてもの覚えが悪いのかと思った事はありませんか。
私はいつもです。
所が、どうも自分の頭の中で選別しているような気がするのです。
覚えるもの、覚えなくていいもの、覚えたくないもの。
場合によっては、脳細胞の異常ではないかとか、若年性の認知症ではないかと心配にもなったりしますよね。
そのような人もいるかもしれませんが、人はどうも無意識の世界で拒否したり、受け入れたりする能力を備わっているような気がします。
或いは、全てを受け入れる人もいるでしょうし、ほんの少ししか受け入れない人、殆ど受け入れない人・・・・・様々なのではないでしょうか。
脳神経科の先生や心療内科、精神科の先生方ならご存知かもしれませんね。
どうも、生まれや育ち方、環境、教育、精神や健康、体の状態等によってそれぞれが造った、或いは形作られた精神構造とでも言うのでしょうか、そんな作用で記憶の力は作用されているような気がします。
私などは、全てで記憶する能力が弱いのかと思ったら、違う方面では人並み以上に物事を覚えていたりすることがあります。
大学の先生や芸術家などでも、自分の得意とする分野しか知らない人がいるかと思えば、ある人は色んな分野に優秀な能力を発揮する人もいます。
それでいいんですよね。
私などはどちらかと言うと悲観的、自虐的な人間ですので覚える力がないことに気落ちをしたり、先行きが不安になったりするものです。
人には与えられたそれぞれの特異性があって、興味のある所、気にもならない部分があるようです。
だから、そんなに心配は要らないようですよ。
40、50歳頃になって、途端にそのような現象が出てきたらいけません。
それこそ、認知症などの事に思いが走らないと。
Posted by misterkei0918 at
11:20
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2011年03月07日
教師の日があるんですね
教師の日があるんですね
3月7日はアルバニアの教師の日らしいです。
調べてみましたら。結構いろんな国で定められているようですね。
『教師の日(きょうしのひ)とは、いくつかの国で教師に感謝する日と定められている記念日・祝日である。
1994年にユネスコが10月5日を世界教師の日と定めている』
ということのようです。
皆さんは幼稚園或いは保育所、小学校、中学校、高校、大学と教わった先生方のお名前を覚えていますか。
多分、最終学歴位のところは殆ど覚えているかもしれませんね。
私は、せいぜい中学の担任の先生、
高校の学年主任の先生、担任、副担任とあと数名くらいの所でしょうか。
特に、中学3年生の担任の先生の存在が私の一生を決定づけたと言っても過言ではありません。
貧しくて、高校にも行けない私を色んな方策を考えて頂き進学をさせて頂きました。
先生も色んな先生がおられました。
どうしても相性の悪い先生、
授業の面白くない先生、
思想が偏重している先生、
生徒に迎合する先生、
・
・
逆に素晴らしい先生にも恵まれました。
それは有難いことですよね。
師と仰ぐ先生がおられる人と尊敬に値しない先生に囲まれることは。
実はそれは対峙する私ども生徒にも言えることですが。
色んな事を真剣に学ぼうとする生徒と先生をないがしろ、軽蔑をする生徒たち。
今は、私どもが幼い頃の先生とは大よそ異なってきたような気もします。
戦後の教育が、幾らか偏向的になっていることや社会の在り方が昔とは異なったこと、先生方を尊重する風潮がなくなったこと、また心底から尊敬できる先生が少なくなったこと、サラリーマン化したこと・・・・・
私もPTAのお世話などもしましたが、こんな人が先生でいいのか?等と思う事もしばしばでした。
やはり先生は尊敬できないとね。
預ける親も不安ですし、第一子供たちが可哀想。
教師の日が出来ても、みんながこぞって尊敬できる日にしないとあるがために非難ごうごうでも困ります。
3月7日はアルバニアの教師の日らしいです。
調べてみましたら。結構いろんな国で定められているようですね。
『教師の日(きょうしのひ)とは、いくつかの国で教師に感謝する日と定められている記念日・祝日である。
1994年にユネスコが10月5日を世界教師の日と定めている』
ということのようです。
皆さんは幼稚園或いは保育所、小学校、中学校、高校、大学と教わった先生方のお名前を覚えていますか。
多分、最終学歴位のところは殆ど覚えているかもしれませんね。
私は、せいぜい中学の担任の先生、
高校の学年主任の先生、担任、副担任とあと数名くらいの所でしょうか。
特に、中学3年生の担任の先生の存在が私の一生を決定づけたと言っても過言ではありません。
貧しくて、高校にも行けない私を色んな方策を考えて頂き進学をさせて頂きました。
先生も色んな先生がおられました。
どうしても相性の悪い先生、
授業の面白くない先生、
思想が偏重している先生、
生徒に迎合する先生、
・
・
逆に素晴らしい先生にも恵まれました。
それは有難いことですよね。
師と仰ぐ先生がおられる人と尊敬に値しない先生に囲まれることは。
実はそれは対峙する私ども生徒にも言えることですが。
色んな事を真剣に学ぼうとする生徒と先生をないがしろ、軽蔑をする生徒たち。
今は、私どもが幼い頃の先生とは大よそ異なってきたような気もします。
戦後の教育が、幾らか偏向的になっていることや社会の在り方が昔とは異なったこと、先生方を尊重する風潮がなくなったこと、また心底から尊敬できる先生が少なくなったこと、サラリーマン化したこと・・・・・
私もPTAのお世話などもしましたが、こんな人が先生でいいのか?等と思う事もしばしばでした。
やはり先生は尊敬できないとね。
預ける親も不安ですし、第一子供たちが可哀想。
教師の日が出来ても、みんながこぞって尊敬できる日にしないとあるがために非難ごうごうでも困ります。
Posted by misterkei0918 at
17:37
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2011年03月07日
教師の日があるんですね
教師の日があるんですね
3月7日はアルバニアの教師の日らしいです。
調べてみましたら。結構いろんな国で定められているようですね。
『教師の日(きょうしのひ)とは、いくつかの国で教師に感謝する日と定められている記念日・祝日である。
1994年にユネスコが10月5日を世界教師の日と定めている』
ということのようです。
皆さんは幼稚園或いは保育所、小学校、中学校、高校、大学と教わった先生方のお名前を覚えていますか。
多分、最終学歴位のところは殆ど覚えているかもしれませんね。
私は、せいぜい中学の担任の先生、
高校の学年主任の先生、担任、副担任とあと数名くらいの所でしょうか。
特に、中学3年生の担任の先生の存在が私の一生を決定づけたと言っても過言ではありません。
貧しくて、高校にも行けない私を色んな方策を考えて頂き進学をさせて頂きました。
先生も色んな先生がおられました。
どうしても相性の悪い先生、
授業の面白くない先生、
思想が偏重している先生、
生徒に迎合する先生、
・
・
逆に素晴らしい先生にも恵まれました。
それは有難いことですよね。
師と仰ぐ先生がおられる人と尊敬に値しない先生に囲まれることは。
実はそれは対峙する私ども生徒にも言えることですが。
色んな事を真剣に学ぼうとする生徒と先生をないがしろ、軽蔑をする生徒たち。
今は、私どもが幼い頃の先生とは大よそ異なってきたような気もします。
戦後の教育が、幾らか偏向的になっていることや社会の在り方が昔とは異なったこと、先生方を尊重する風潮がなくなったこと、また心底から尊敬できる先生が少なくなったこと、サラリーマン化したこと・・・・・
私もPTAのお世話などもしましたが、こんな人が先生でいいのか?等と思う事もしばしばでした。
やはり先生は尊敬できないとね。
預ける親も不安ですし、第一子供たちが可哀想。
教師の日が出来ても、みんながこぞって尊敬できる日にしないとあるがために非難ごうごうでも困ります。
3月7日はアルバニアの教師の日らしいです。
調べてみましたら。結構いろんな国で定められているようですね。
『教師の日(きょうしのひ)とは、いくつかの国で教師に感謝する日と定められている記念日・祝日である。
1994年にユネスコが10月5日を世界教師の日と定めている』
ということのようです。
皆さんは幼稚園或いは保育所、小学校、中学校、高校、大学と教わった先生方のお名前を覚えていますか。
多分、最終学歴位のところは殆ど覚えているかもしれませんね。
私は、せいぜい中学の担任の先生、
高校の学年主任の先生、担任、副担任とあと数名くらいの所でしょうか。
特に、中学3年生の担任の先生の存在が私の一生を決定づけたと言っても過言ではありません。
貧しくて、高校にも行けない私を色んな方策を考えて頂き進学をさせて頂きました。
先生も色んな先生がおられました。
どうしても相性の悪い先生、
授業の面白くない先生、
思想が偏重している先生、
生徒に迎合する先生、
・
・
逆に素晴らしい先生にも恵まれました。
それは有難いことですよね。
師と仰ぐ先生がおられる人と尊敬に値しない先生に囲まれることは。
実はそれは対峙する私ども生徒にも言えることですが。
色んな事を真剣に学ぼうとする生徒と先生をないがしろ、軽蔑をする生徒たち。
今は、私どもが幼い頃の先生とは大よそ異なってきたような気もします。
戦後の教育が、幾らか偏向的になっていることや社会の在り方が昔とは異なったこと、先生方を尊重する風潮がなくなったこと、また心底から尊敬できる先生が少なくなったこと、サラリーマン化したこと・・・・・
私もPTAのお世話などもしましたが、こんな人が先生でいいのか?等と思う事もしばしばでした。
やはり先生は尊敬できないとね。
預ける親も不安ですし、第一子供たちが可哀想。
教師の日が出来ても、みんながこぞって尊敬できる日にしないとあるがために非難ごうごうでも困ります。
Posted by misterkei0918 at
17:37
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2011年03月07日
誰かしっかりした人はいませんか
誰かしっかりした人はいませんか
また大臣の退陣です。
口で言う事とやっている事が異なっていてはいけません。
有言不実行は人間不信を生みますが、
嘘の方言は、人間そのものを否定させます。
やれないことを言うのはまだ可愛いのですが、如何にも正直な顔をし、口で正論を振りかざしながら後ろで誤ったことをしていては悲しい限りです。
しかも政治家が。
やはり権力の座は、そんなにいいのでしょうかね。
凡人には分からない事ですが、多分甘い蜜が備わっているのでしょう。
世の中には、優秀な人はいるものです。
そういう人は、案外表には出たがらないものです。
周りから押されても。
でもそんなことを言っている場合ではなくなってきました。
「誰かいませんかね」
くるくる時勢を見ては考えの変わる人では困ります。
政治不信の始まりです。
権力にしがみつくのも困ります。
賤しいものです。
操られる政治も嫌です。
そのうち見破られてしまいます。
もう日本の沈没が始まっているのかもしれませんね。
周りの諸外国からは、様々な揺さぶりが起こり始めました。
今なら最大のチャンスと映っているのでしょうね。
確かに私どもからみても、今が脅しや揺さぶりの最大のチャンスに見えます。
余りにも平和を謳歌しすぎ、平和と言う湯船の中で危機感もなく、浮沈をかける争いもなく、外国からの恩恵のみを吸い取って、今になって国内政治の無力さが露呈される事態になってきました。
誰か若い方々で、ステイツマンとしての志を持って国民に尽くしてくれる人。
いませんかね。
時には国民を説き伏せてでも、導いていけるような人。
そうでなくても、賢い国民はちゃんと理解、共鳴できるものです。
悲しくなります。
また大臣の退陣です。
口で言う事とやっている事が異なっていてはいけません。
有言不実行は人間不信を生みますが、
嘘の方言は、人間そのものを否定させます。
やれないことを言うのはまだ可愛いのですが、如何にも正直な顔をし、口で正論を振りかざしながら後ろで誤ったことをしていては悲しい限りです。
しかも政治家が。
やはり権力の座は、そんなにいいのでしょうかね。
凡人には分からない事ですが、多分甘い蜜が備わっているのでしょう。
世の中には、優秀な人はいるものです。
そういう人は、案外表には出たがらないものです。
周りから押されても。
でもそんなことを言っている場合ではなくなってきました。
「誰かいませんかね」
くるくる時勢を見ては考えの変わる人では困ります。
政治不信の始まりです。
権力にしがみつくのも困ります。
賤しいものです。
操られる政治も嫌です。
そのうち見破られてしまいます。
もう日本の沈没が始まっているのかもしれませんね。
周りの諸外国からは、様々な揺さぶりが起こり始めました。
今なら最大のチャンスと映っているのでしょうね。
確かに私どもからみても、今が脅しや揺さぶりの最大のチャンスに見えます。
余りにも平和を謳歌しすぎ、平和と言う湯船の中で危機感もなく、浮沈をかける争いもなく、外国からの恩恵のみを吸い取って、今になって国内政治の無力さが露呈される事態になってきました。
誰か若い方々で、ステイツマンとしての志を持って国民に尽くしてくれる人。
いませんかね。
時には国民を説き伏せてでも、導いていけるような人。
そうでなくても、賢い国民はちゃんと理解、共鳴できるものです。
悲しくなります。
Posted by misterkei0918 at
08:34
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2011年03月05日
ノーベル賞受賞者、小柴先生、小林先生を拝顔
ノーベル賞受賞者、小柴先生、小林先生を拝顔
今日は、ノーベル賞受賞者の小柴先生、小林先生を拝顔出来ました。
私の極めて個人的な見解を申し上げると、多分、最近の日本の総理大臣に会う事よりも難しく、遥かに価値のある事のように思えます。
主催は、財団法人平成基礎科学財団
間違っているといけませんが聞くところによると、小柴先生が自費を投じて設立された財団とお聞きしました。
こういう所にこそ、予算をつぎ込んで先端的な研究を日本が率先することも大事ですし、これこそ一番でないといけません。
小柴昌俊先生は、
『2002年10月8日、スウェーデン王立アカデミーはノーベル物理学賞を小柴昌俊東大名誉教授(76)に贈ると発表した。
受賞理由は「天体物理学、特に宇宙ニュートリノの検出へのパイオニア的貢献」。
カミオカンデを建設して宇宙から飛来するニュートリノを捕らえ、ニュートリノ天文学という新しい学問分野を開拓したことが高く評価された。』
小林誠先生は、
『2008年のノーベル物理学賞は、シカゴ大学名誉教授の南部陽一郎先生、高エネルギー加速器研究機構名誉教授の小林誠先生、京都産業大学理学部教授で京都大学名誉教授の益川敏英先生の三氏に贈られることが発表されました。
三人の先生はいずれも素粒子物理学の発展に多大な貢献をなされた先駆者です』
今日の小林先生のお話は「素粒子と宇宙」。
私には大よそ理解不可能な内容でしたが、世界的に評価される科学者の姿を垣間見ることだけでも素晴らしい事でした。
聴衆の中には多くの高校生が駆けつけていましたが、質問の時間になると数名が勇気を持って質問をしていた姿が頼もしく、嬉しくもなったものです。
頑張れ!!高校生・・・
彼らにとって勇気と希望を与えて頂ける事は本当に有難いことです。
私の今日は何となく晴れがましいものとなりました。
今日は、ノーベル賞受賞者の小柴先生、小林先生を拝顔出来ました。
私の極めて個人的な見解を申し上げると、多分、最近の日本の総理大臣に会う事よりも難しく、遥かに価値のある事のように思えます。
主催は、財団法人平成基礎科学財団
間違っているといけませんが聞くところによると、小柴先生が自費を投じて設立された財団とお聞きしました。
こういう所にこそ、予算をつぎ込んで先端的な研究を日本が率先することも大事ですし、これこそ一番でないといけません。
小柴昌俊先生は、
『2002年10月8日、スウェーデン王立アカデミーはノーベル物理学賞を小柴昌俊東大名誉教授(76)に贈ると発表した。
受賞理由は「天体物理学、特に宇宙ニュートリノの検出へのパイオニア的貢献」。
カミオカンデを建設して宇宙から飛来するニュートリノを捕らえ、ニュートリノ天文学という新しい学問分野を開拓したことが高く評価された。』
小林誠先生は、
『2008年のノーベル物理学賞は、シカゴ大学名誉教授の南部陽一郎先生、高エネルギー加速器研究機構名誉教授の小林誠先生、京都産業大学理学部教授で京都大学名誉教授の益川敏英先生の三氏に贈られることが発表されました。
三人の先生はいずれも素粒子物理学の発展に多大な貢献をなされた先駆者です』
今日の小林先生のお話は「素粒子と宇宙」。
私には大よそ理解不可能な内容でしたが、世界的に評価される科学者の姿を垣間見ることだけでも素晴らしい事でした。
聴衆の中には多くの高校生が駆けつけていましたが、質問の時間になると数名が勇気を持って質問をしていた姿が頼もしく、嬉しくもなったものです。
頑張れ!!高校生・・・
彼らにとって勇気と希望を与えて頂ける事は本当に有難いことです。
私の今日は何となく晴れがましいものとなりました。
Posted by misterkei0918 at
17:00
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2011年03月04日
苦しい時ほど時間が薬
苦しい時ほど時間が薬
昨年の自殺者の数も3万人をはるかに越えてしまいました。
背負いくれないほどの苦しみを負い、でも人は何故そこまで出来るのでしょうか。
自殺する動物は人間だけだとも言います。
時間は不思議なものです。
季節を引き連れてきますし。人を嘆きの坩堝(るつぼ)にも陥れます。
「時は金なり」とも言いますが、「時は忘却を促進」してくれます。
苦しい時ほど喘いではいけないようです。
心を静めて、時とともに過ごすゆとりこそが正しい導きをもたらしてくれます。
「心の妙薬こそ時」、そんな気がいたします。
先人たちも時の大切さをしっかり教えてくれています。
『心に迷いある時は人を咎(とが)む、迷いなき時は人を咎(とが)めず。手島堵庵』
『苦難の時に動揺しないこと。これは真に賞讃すべき卓越した人物の証拠である。ベートーベン』
『苦しい時でも、とにかく笑っていろ。笑える余裕、ゆとりがないと判断を間違える。藤森正路(実業家)』
『危険が身に迫った時、逃げ出すようでは駄目だ。かえって危険が二倍になる。決然として立ち向かえば、危険は半分に減る。何事に出会っても、決して逃げるな。チャーチル』
『基本的には誤解を受けてもジタバタしないこと、時が解決してくれるのを待つほうが賢明だ。弘兼憲史「あえて誤解をおそれず」(PHP文庫)より』
『喜怒の時、耐えて事すべからず。喜びもやみ、怒りもやみ、常の心になりて後、事を行なうべし。貝原益軒』
『自分の前にいっぱい敵があらわれた時、振り返って見るがいい。味方だっていっぱいいるものだ。生田長江』
『自然と時と忍耐の三つが、もっとも偉大な医者である。ヘンリーボーン』
『時間が多くのことを解決してくれる。あなたの今日の悩みも解決してくれるに違いない。Dカーネギー』
昨年の自殺者の数も3万人をはるかに越えてしまいました。
背負いくれないほどの苦しみを負い、でも人は何故そこまで出来るのでしょうか。
自殺する動物は人間だけだとも言います。
時間は不思議なものです。
季節を引き連れてきますし。人を嘆きの坩堝(るつぼ)にも陥れます。
「時は金なり」とも言いますが、「時は忘却を促進」してくれます。
苦しい時ほど喘いではいけないようです。
心を静めて、時とともに過ごすゆとりこそが正しい導きをもたらしてくれます。
「心の妙薬こそ時」、そんな気がいたします。
先人たちも時の大切さをしっかり教えてくれています。
『心に迷いある時は人を咎(とが)む、迷いなき時は人を咎(とが)めず。手島堵庵』
『苦難の時に動揺しないこと。これは真に賞讃すべき卓越した人物の証拠である。ベートーベン』
『苦しい時でも、とにかく笑っていろ。笑える余裕、ゆとりがないと判断を間違える。藤森正路(実業家)』
『危険が身に迫った時、逃げ出すようでは駄目だ。かえって危険が二倍になる。決然として立ち向かえば、危険は半分に減る。何事に出会っても、決して逃げるな。チャーチル』
『基本的には誤解を受けてもジタバタしないこと、時が解決してくれるのを待つほうが賢明だ。弘兼憲史「あえて誤解をおそれず」(PHP文庫)より』
『喜怒の時、耐えて事すべからず。喜びもやみ、怒りもやみ、常の心になりて後、事を行なうべし。貝原益軒』
『自分の前にいっぱい敵があらわれた時、振り返って見るがいい。味方だっていっぱいいるものだ。生田長江』
『自然と時と忍耐の三つが、もっとも偉大な医者である。ヘンリーボーン』
『時間が多くのことを解決してくれる。あなたの今日の悩みも解決してくれるに違いない。Dカーネギー』
Posted by misterkei0918 at
14:14
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2011年03月04日
時の権力者によって歴史は改竄(かいざん)される?
時の権力者によって歴史は改竄(かいざん)される?
テレビドラマや小説の世界は、歴史を語るに脚色や誇大がないと興味を持って見てくれませんので仕方ない事なのでしょうが、歴史自体が改竄されることは許されないことですよね。
最近のテレビドラマを見ていると、「そうではないでしょう」と思う事がたびたびです。
或いは私の認識が間違っているのでしょうか。
古い歴史であればある程、私どもの知識は限られたものになり、与えられた情報の中で積み上げていくほかに手段はありません。
最近は特に明治維新の頃のドラマが多数存在し、放送もされていますので一番興味を持っているところですが、「歴女」などと称され若い女性たちが歴史の興味を傾ける事は非常に嬉しい事です。
それだけに歴史こそは正しいものであって欲しいものです。
特に国民的関心の高い江戸後期から明治維新の歴史は。
維新時代から学ぶものは決して少なくなく、力強いメッセージを私どもに伝えてくれます。
激動の国際情勢の中で、閉ざされた日本が劇的に変化を遂げた時代。
世の中の構造的な変化と呼んでいいでしょう。
戸惑いや憤り、挫折や希望が交錯し合う中で、進むべき道が明治維新だったのでしょうね。
最近、時間を作ってはその頃の歴史を少しですが勉強を始めました。
自らの過去と比較して、多くの維新の若者たちが命を呈して守ろうとしたもの、生涯を駆けて変革をしようとしたものに比べて余りにも小さい自らの在り方に悲しくもなります。
勉強するうちに、歴史の改竄が存在することに出会いました。
本来は在ってはならない事ですが、時の政府、時の権力者が自分たちに都合の良いように歴史の書き換える事が分かってきました。
正しい歴史を知る事は、自らのDNAを知ることに等しい事。
事の全て100%確実に知る事は出来ない事ですが、少なくとも大筋において間違っていてはいけません。
歴史のレールの上に存在する筈の私どもの過去が何らかの意図によって改竄されているとしたら、それは歴史ではなく単なる物語になってしまいます。
私どもが寄って立つ基盤を失う事に等しいものです。
例えそうであったとしたら、今その改竄を正す時期であり、国民が歴史、特に近代史に興味を持っている今こそ、その貴重な時期に思えます。
だって、今なら私どもの頭にある近代史の書き換えができそうだから。
テレビドラマや小説の世界は、歴史を語るに脚色や誇大がないと興味を持って見てくれませんので仕方ない事なのでしょうが、歴史自体が改竄されることは許されないことですよね。
最近のテレビドラマを見ていると、「そうではないでしょう」と思う事がたびたびです。
或いは私の認識が間違っているのでしょうか。
古い歴史であればある程、私どもの知識は限られたものになり、与えられた情報の中で積み上げていくほかに手段はありません。
最近は特に明治維新の頃のドラマが多数存在し、放送もされていますので一番興味を持っているところですが、「歴女」などと称され若い女性たちが歴史の興味を傾ける事は非常に嬉しい事です。
それだけに歴史こそは正しいものであって欲しいものです。
特に国民的関心の高い江戸後期から明治維新の歴史は。
維新時代から学ぶものは決して少なくなく、力強いメッセージを私どもに伝えてくれます。
激動の国際情勢の中で、閉ざされた日本が劇的に変化を遂げた時代。
世の中の構造的な変化と呼んでいいでしょう。
戸惑いや憤り、挫折や希望が交錯し合う中で、進むべき道が明治維新だったのでしょうね。
最近、時間を作ってはその頃の歴史を少しですが勉強を始めました。
自らの過去と比較して、多くの維新の若者たちが命を呈して守ろうとしたもの、生涯を駆けて変革をしようとしたものに比べて余りにも小さい自らの在り方に悲しくもなります。
勉強するうちに、歴史の改竄が存在することに出会いました。
本来は在ってはならない事ですが、時の政府、時の権力者が自分たちに都合の良いように歴史の書き換える事が分かってきました。
正しい歴史を知る事は、自らのDNAを知ることに等しい事。
事の全て100%確実に知る事は出来ない事ですが、少なくとも大筋において間違っていてはいけません。
歴史のレールの上に存在する筈の私どもの過去が何らかの意図によって改竄されているとしたら、それは歴史ではなく単なる物語になってしまいます。
私どもが寄って立つ基盤を失う事に等しいものです。
例えそうであったとしたら、今その改竄を正す時期であり、国民が歴史、特に近代史に興味を持っている今こそ、その貴重な時期に思えます。
だって、今なら私どもの頭にある近代史の書き換えができそうだから。
Posted by misterkei0918 at
09:57
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