2011年03月11日
父親と兄弟?・・・戦争の悲劇
父親と兄弟?・・・戦争の悲劇
父親とは親子であって、兄弟と言う事は決してありませんよね。
世間の常識だし、あり得ないことです。
所が現実にあるんです。
ただ、親子が「俺たちは兄弟だ」とたわごとを言っているのではないのです。
戸籍上で親子に記載されている。
父親が長男で、子供のある筈の私が末の弟。
初めて自分の戸籍を見た時は、我が目を疑ったものでした。
「そんな事があるの?」
「どうして?」
高校時代までは、母と二人の暮らしでしたから当然戸籍はそのようになっているものと思っていたのです。
想像をした事もありませんでしたし、ましてや戸籍がどうなっているなどと考えた事もありませんでした。
遡ること数十年になりますが、つまりは父親と母親が私を身ごもりながら結婚が出来なかったんですね。
その事が引き金で、母は私の元から遥か遠くに旅立ってしまったのです。
多分、取り残された私を廻って、両方の親同志が話し合ったのでしょうね。
確認をした訳ではありませんから事の真実は分かりませんが。
その結果、私の戸籍は父親の両親の戸籍に入れることとなったのでしょう。
つまり父親と兄弟に。
私の体は、母親の両親、つまり私の母方の両親に育ててもらう事になりました。
話せば大変長い物語になりますから、ここでは省きますがそれはそれは大変な長い道のりを通ったものです。
その後、母親と初めて再開を果たすのですが、既に6歳を過ぎていたのです。
ここからがまた新たな葛藤を繰り返すことになってしまいました。
と言う訳で、父親が兄弟。
あり得た話なんです。
これも戦後の混乱の賜物であり、戦争が生んだ悲劇とでも言いましょうか。
悲劇と言っても、私自身の性格はそのようにして構築されたものですから決して恨み辛みを申し上げる訳ではないのです。
むしろそれが幸いしたとでも言いましょうか。
負け惜しみではないのです。
父親とは親子であって、兄弟と言う事は決してありませんよね。
世間の常識だし、あり得ないことです。
所が現実にあるんです。
ただ、親子が「俺たちは兄弟だ」とたわごとを言っているのではないのです。
戸籍上で親子に記載されている。
父親が長男で、子供のある筈の私が末の弟。
初めて自分の戸籍を見た時は、我が目を疑ったものでした。
「そんな事があるの?」
「どうして?」
高校時代までは、母と二人の暮らしでしたから当然戸籍はそのようになっているものと思っていたのです。
想像をした事もありませんでしたし、ましてや戸籍がどうなっているなどと考えた事もありませんでした。
遡ること数十年になりますが、つまりは父親と母親が私を身ごもりながら結婚が出来なかったんですね。
その事が引き金で、母は私の元から遥か遠くに旅立ってしまったのです。
多分、取り残された私を廻って、両方の親同志が話し合ったのでしょうね。
確認をした訳ではありませんから事の真実は分かりませんが。
その結果、私の戸籍は父親の両親の戸籍に入れることとなったのでしょう。
つまり父親と兄弟に。
私の体は、母親の両親、つまり私の母方の両親に育ててもらう事になりました。
話せば大変長い物語になりますから、ここでは省きますがそれはそれは大変な長い道のりを通ったものです。
その後、母親と初めて再開を果たすのですが、既に6歳を過ぎていたのです。
ここからがまた新たな葛藤を繰り返すことになってしまいました。
と言う訳で、父親が兄弟。
あり得た話なんです。
これも戦後の混乱の賜物であり、戦争が生んだ悲劇とでも言いましょうか。
悲劇と言っても、私自身の性格はそのようにして構築されたものですから決して恨み辛みを申し上げる訳ではないのです。
むしろそれが幸いしたとでも言いましょうか。
負け惜しみではないのです。
Posted by misterkei0918 at 23:21│Comments(0)