2011年04月08日
勧善懲悪についても。聖徳太子の「十七条の憲法」その2
勧善懲悪についても。聖徳太子の「十七条の憲法」その2
7世紀初め頃の公務員向けの憲法ですが、今でも十分役に立ちますね。
歴史が長くても人間の本質は殆ど変わらないと言う事でしょうか。
第六条 勧善懲悪(かんぜんちょうあく)は、昔からの良い教訓である。
それゆえ人の善は隠すことなく、悪を見れば必ず正せ、おもねり偽る者は、国家を覆す利器であり人民を絶つ鋭い剣である。
また媚び(こび)へつらう者は、上に対して好んで下の過失を告げ、下に向かっては上の失敗を誹謗(ひぼう)する。
このような人はみな、君に対する忠心がなく、民に対する仁(めぐみ)の念(こころ)がない。 これが大乱の元になるのである。
第七条 人にはそれぞれの任務がある。
役職に乱れがあってはならない。
賢人を官(つかさ)に任じれば、称賛の声が起こるが、妖人(かんじん)が官(つかさ)になれば、頻繁に災いや混乱が起こる。
生まれつき、分別のある人は少ない。
よく思慮して聖人となるのである。
事の大小にかかわらず、適切な人事によって必ず治まる。
時の緩急にかかわらず賢人を迎えれば自然に鎮まる。
そうすれば国家は永久で、社会も安泰である。
それゆえ古(いにしえ)の聖王は官(つかさ)のために人を求めたのであり、
人にために、官(つかさ)を求めることはなかった。
第八条 役人は早く出仕して遅く退出せよ。
公務には暇がない。
終日やってもやり尽くせない。
それゆえ遅い出仕は急用に間に合わず、早い退出は必ず仕事をやり残す。
第九条 信(まこと)は道義の根本である。
あらゆる事に信(まこと)がなければならない。
善と悪、成功と失敗の要は、必ず信(まこと)にある。
群臣ともに信(まこと)があれば、何事であれ、成就しないものはなく、群臣に信(まこと)がなければ、万事に失敗する。
第十条 心に恨みを抱かず、顔に憤りを表さず、人が自分と違うからといって怒ってはならない。
人にはみな心があり、心にはそれぞれの考えがある。
相手が正しいと思っても、自分は間違っていると思い、自分が正しいと思っても、相手は間違っていると思う。
自分は聖人でなく、相手が愚人(ぐにん)でもない、共に凡夫(ぼんぷ)なのである。
是非の理(ことわり)をいったい誰が定めることができようか。
お互いが賢人であり愚者であり、端がない指輪と同じでどこが境界か、区別がつかない。
それゆえ、相手が怒ったら、省みて自分の過失を恐れよ、自分一人が良いと思っても、衆人の考えに従って、同じように行動せよ。
7世紀初め頃の公務員向けの憲法ですが、今でも十分役に立ちますね。
歴史が長くても人間の本質は殆ど変わらないと言う事でしょうか。
第六条 勧善懲悪(かんぜんちょうあく)は、昔からの良い教訓である。
それゆえ人の善は隠すことなく、悪を見れば必ず正せ、おもねり偽る者は、国家を覆す利器であり人民を絶つ鋭い剣である。
また媚び(こび)へつらう者は、上に対して好んで下の過失を告げ、下に向かっては上の失敗を誹謗(ひぼう)する。
このような人はみな、君に対する忠心がなく、民に対する仁(めぐみ)の念(こころ)がない。 これが大乱の元になるのである。
第七条 人にはそれぞれの任務がある。
役職に乱れがあってはならない。
賢人を官(つかさ)に任じれば、称賛の声が起こるが、妖人(かんじん)が官(つかさ)になれば、頻繁に災いや混乱が起こる。
生まれつき、分別のある人は少ない。
よく思慮して聖人となるのである。
事の大小にかかわらず、適切な人事によって必ず治まる。
時の緩急にかかわらず賢人を迎えれば自然に鎮まる。
そうすれば国家は永久で、社会も安泰である。
それゆえ古(いにしえ)の聖王は官(つかさ)のために人を求めたのであり、
人にために、官(つかさ)を求めることはなかった。
第八条 役人は早く出仕して遅く退出せよ。
公務には暇がない。
終日やってもやり尽くせない。
それゆえ遅い出仕は急用に間に合わず、早い退出は必ず仕事をやり残す。
第九条 信(まこと)は道義の根本である。
あらゆる事に信(まこと)がなければならない。
善と悪、成功と失敗の要は、必ず信(まこと)にある。
群臣ともに信(まこと)があれば、何事であれ、成就しないものはなく、群臣に信(まこと)がなければ、万事に失敗する。
第十条 心に恨みを抱かず、顔に憤りを表さず、人が自分と違うからといって怒ってはならない。
人にはみな心があり、心にはそれぞれの考えがある。
相手が正しいと思っても、自分は間違っていると思い、自分が正しいと思っても、相手は間違っていると思う。
自分は聖人でなく、相手が愚人(ぐにん)でもない、共に凡夫(ぼんぷ)なのである。
是非の理(ことわり)をいったい誰が定めることができようか。
お互いが賢人であり愚者であり、端がない指輪と同じでどこが境界か、区別がつかない。
それゆえ、相手が怒ったら、省みて自分の過失を恐れよ、自分一人が良いと思っても、衆人の考えに従って、同じように行動せよ。
Posted by misterkei0918 at 09:58│Comments(0)