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2011年01月14日

母と子の情愛を垣間見て

母と子の情愛を垣間見て

垣間見てと書くと「垣根の間から覗いた」的な解釈になってしまわないか危惧してしまいます。

「垣間見る」とは、言葉的にはのぞき見る事ですが日常的に使う意味としては、「それとなく」、とか「意識せずに見てしまう」、「それとなく目に入る」そんな意味合いで使います。

或いは間違っていたら、このように言い変えましょう。
「母と子の情愛を目にして」

車で通りすがる斜め前に、幼い子供を抱いた母親が立っています。

銀行の支店の窓口が閉じていますから、時間的には、多分3時以降。
バス停の前ですから、到着するバスを待っているのか、
あるいは、タクシー待ちか?

私は、赤信号で止まっている時です。

子供は、生まれて3~4カ月位と見えます。

抱きかかえた子供を、自分の顔と同じ位まで両手で数度上げたり下ろしたり。

子供はそれに答えるように、或いは怖さからでしょうか、母親にしがみつくしぐさを繰り返します。

まさしく母親と子供が一体化しているような、
睦まじい姿です。

父親ではこのようにはいかないものです。
遠目でそれとなく見ている私までがつい微笑んでしまうような。

以前、関東の埼京線に乗った時も、目の前に座っている母子の姿に感銘を受けてブログに書いてしまった事がありますが、母親と子供の愛情の交換はいつ見ても微笑ましく、胸打つものがあります。

出来れば私自身も幼いころに、母親とこのような経験もしたかったものだと思わずにはおれません。

母親の持つ母性は、幼い子供にとって史上この上ない、かけがえのないものであって誰でもそうなければいけない欠かす事の出来ない体験であろうと私は思うのです。

それが、正常に人を愛する事の大切さを学び、的確に実践できるのではないでしょうかね。

適切な母親の愛情に恵まれない、或いは心ない処遇や扱いの為に人生を棒に振る人間もいますし、屈折した取り返しの使いない人生を送る結果を招くことだってあるものです。

人の人生は一様でないのもわかりますし、あり得ない事も重々承知していますが、幼いころの母親との愛情にまみれた行動は誰にでもそれだけは共通の体験であって欲しいものです。

あの母と子の姿にほんのりとした思いを感じると同時に自分の幼いころをつい重ねてしまいました。


『母親の涙には、化学で分析できない深く尊い愛情がこもっている。ファラデー』


『子どもが変わる魔法の言葉
「お母さんは、あなたが大好きよ」
「あなたは、お母さんの宝ものよ」
「どんなことがあっても、お母さんはあなたの味方よ」。山崎房一』




Posted by misterkei0918 at 22:23│Comments(0)
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