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2011年01月12日

知りませんでした。守・破・離

知りませんでした。守・破・離

初めてこの言葉に触れたのは、4年ほど前でした。

多分、剣道や柔道などの日本古来の武道に勤しんだ方々、或いはお茶やお花などの伝統的な作法や修練を重ねた方々は先生方から、多分一度や二度はお聞きになったのではないでしょうか。

私は武道では、剣道を小学校の頃に遊びのようにして教えて頂いた事はありましたが、正式に教えを請うたことはありませんでしたので、全くこの言葉を耳にする事はありませんでした。

多分、多くの皆さんはご存じだったかも知れませんね。

調べてみましたら、極めて日本らしい言葉ですね。

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およそ600年前、室町の三代将軍足利義満の時代に、「能」を育て上げた観阿弥、世阿弥親子が「風姿花伝」(「花伝書」ともいう。)のなかで展開した芸能論の一部のようです。

現在は能だけでなく、歌舞伎や狂言といった日本の伝統芸能、剣道や居合道、空手など武道の世界でも守破離という言葉が広く使われています。

守・・・ひたすら教えを守り、学ぶ。

ひたすら師の教えを守り、多くの話を聞き、師の行動を見習って、自分のものへとします。全てを習得できたと感じるまで、師の指導を繰り返します。

破・・・教えの言葉から抜け出し、真意を会得する。

既存の概念を破る事。疑問解決の為に、師の教えを守るだけではなく独自の工夫を重ね、師の教えにはなかった方法などを試していきます。意識的に師の教えを崩し、次第に発展し…独自の方法を築き上げていく事になります。

離・・・型に一切とらわれず、自在の境地に入ること。

この境地まで達すると、師のもとを離れていきます。破と違うのは、「一切のこだわりを捨て、自由に、思うままに考え、自然に身を置いて行えば、言わば合理の極致としておのずから至芸の境地に至る」事です。離はいわば理想の段階ですが、その「道」を学ぶ者ならば、離の段階に入っていかねばならないのです。

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人の成長もそうかもしれませんね。
親や周りのしつけや教育をひたすら学ぶ時期、
その教えを基本として、より人間らしい姿へ移り、
年齢を重ねるとともに、他人とは違う自分らしさを会得する。

企業経営でもそうです。
最初は先代の見よう見まね、
そのうちほぼ一人前と化し、
年月とともに、新しい事業形態であったり、
全く新しいビジネスモデルとなったり、独自性が滲み出てくるものです。

修練とでも言うのでしょうかね。
或いは、悟りの境地?
或いは達観?

まだまだですが、そんな世界へいつか辿り着く事を夢見て精進したいものですね。



Posted by misterkei0918 at 18:18│Comments(0)
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