2010年12月06日
車社会が人間関係を希薄にしている
車社会が人間関係を希薄にしている
牛車や馬車の時代、
当然、それにさえ乗れない人々が殆どでした。
殆どが徒歩ですよね。
軽く笑顔で挨拶を交わし、譲り合って、いたわり合ったものです。
私も小さい頃は、車に乗ることなど想像の世界でしたし、ましてや自分で車を購入するなど夢にも思いませんでした。
今思うとゾッとするのですが、埃を立てて走るトラックの後ろを追いかけて撒き散らすガソリンの匂いを嗅いでいたものです。
何故か、当時は良い匂いだったんです。
不思議な匂い、生まれて此の方嗅いだ事のない匂いだったんですね。
まさか川崎病に代表されるような公害の原因になるなど考えもしませんでしたし、公害という言葉さえ存在しませんでした。
車は今となっては、手放せない存在であり極めて便利なものです。
或いはステイタスとしての象徴的な存在でもありました。
でも、便利さとは裏腹に我々の人間関係や精神構造まで変えてしまったことは間違いないと思っているのです。
片方では、人の命を奪う凶器でもあります。
一年間に8000人から一万人が死亡するのですから大変なことです。
言わば、ひとつの町や村の住民が全て一年で亡くなったのに同じであります。
顔の見えない密室化した車は、競争意識のむき出しの世界となり、秩序を乱し、日ごろの性格までも凶悪化してしまいます。
追い越されたと言っては、殺人事件だって起こりますしタバコや空き缶、ペットボトルなどの投げ捨て、人を連れ去る道具にだってなってしまいます。
アメリカ映画などを見ていても、車を使った強烈な映画の全盛時代でもあります。
今の世界のグローバル化された経済競争の中心にあるのも車です。
世界中の人々が、先進国の車社会の人々と同じような精神構造の変化にさらされると思うと怖い思いがいたします。
車社会の進展を否定するものでもありませんが、もっと心豊かに、互譲の精神を持って車を利用できる世界が来てほしいものですね。
牛車や馬車の時代、
当然、それにさえ乗れない人々が殆どでした。
殆どが徒歩ですよね。
軽く笑顔で挨拶を交わし、譲り合って、いたわり合ったものです。
私も小さい頃は、車に乗ることなど想像の世界でしたし、ましてや自分で車を購入するなど夢にも思いませんでした。
今思うとゾッとするのですが、埃を立てて走るトラックの後ろを追いかけて撒き散らすガソリンの匂いを嗅いでいたものです。
何故か、当時は良い匂いだったんです。
不思議な匂い、生まれて此の方嗅いだ事のない匂いだったんですね。
まさか川崎病に代表されるような公害の原因になるなど考えもしませんでしたし、公害という言葉さえ存在しませんでした。
車は今となっては、手放せない存在であり極めて便利なものです。
或いはステイタスとしての象徴的な存在でもありました。
でも、便利さとは裏腹に我々の人間関係や精神構造まで変えてしまったことは間違いないと思っているのです。
片方では、人の命を奪う凶器でもあります。
一年間に8000人から一万人が死亡するのですから大変なことです。
言わば、ひとつの町や村の住民が全て一年で亡くなったのに同じであります。
顔の見えない密室化した車は、競争意識のむき出しの世界となり、秩序を乱し、日ごろの性格までも凶悪化してしまいます。
追い越されたと言っては、殺人事件だって起こりますしタバコや空き缶、ペットボトルなどの投げ捨て、人を連れ去る道具にだってなってしまいます。
アメリカ映画などを見ていても、車を使った強烈な映画の全盛時代でもあります。
今の世界のグローバル化された経済競争の中心にあるのも車です。
世界中の人々が、先進国の車社会の人々と同じような精神構造の変化にさらされると思うと怖い思いがいたします。
車社会の進展を否定するものでもありませんが、もっと心豊かに、互譲の精神を持って車を利用できる世界が来てほしいものですね。
Posted by misterkei0918 at 18:18│Comments(0)