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2010年12月03日

逝きし前に供えること

逝きし前に供えること

今日は悲しい別れに遭遇しました。
急な事故によって命を落とす事は、残された人にとっては悲しみが倍化すような気がします。

今日の方もそうでした。
突然にこの世から、去ってしまう。

最近、病気などで患われた後に亡くなる方のご葬儀に出る機会が多かったものですから、どちらかと言うと淡々とした告別式を経験していました。

残された遺族の方々も、一応の覚悟は出来ていますし、大方いつの日にかあの世に旅立って逝く事は想定の範囲内ですので、悲しみも幾らかは和らいでいるものです。

また、心の中には看病に精一杯の努力をしたとか、尽くせるだけの事はしたとか、亡くなったとしても幾らかの満足感も伴っているものです。

ところが、突然の訃報は心の整理が出来ていないどころか、現実の出来事として把握は出来ないものです。

葬儀の進行につれ、現実の出来事として俄かに悲しみがこみ上げて来るもの。

つまり呆然自失の世界から、現実を直視しなくてはいけない状況の追い込まれることになるわけです。

人が「命を永遠に全うできない事」は、事前の事実ではありますが心の片隅には「永遠の命」を想定して日頃の生活をし、行動しているものです。

忽然として、この世からいなくなってしまう事など、身近な人であればあるほど考えたくない事であります。

悲しい思いをしたのは、いたいけない子どもの葬儀の時です。

子どもに先立たれたご両親の悲しみも想像を越えますが、まだ将来のある幼い子どもの告別式は参加者の全ての涙を誘ってしまいます。

これは私自身が我が身に若しもの事態が起こった時のこととして勝手に思うことなのですが、

日頃から、心の準備をしておきたい事と、

自分の生き様や人生観の口伝えや若しくは記録、
妻や子どもたちに残したものの清算、
或いは残したいものの記録や法的な手続き、

貴重な経験談や自分たちの先祖の事、
お墓やお祭りの事、


事前に、残るであろう者たちへしかと伝えていければいいなと思います。

早くから、そんな心構えで日常を過ごす事が大切かもしれませんね。
もう先が見えてきた私のような人間にとっては。

いつもそうですが、敬虔な心、成仏を祈る心掛けは忘れてはいけないようですね。
徳を積むと言います。
数珠で両手を合わせて合掌をし、お香を手向けて、目を閉じて、頭を垂れて・・・・・



Posted by misterkei0918 at 18:29│Comments(0)
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