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2010年11月27日

日本は何処にでも神様がいた・・・2

日本は何処にでも神様がいた・・・2

25日は年末恒例のNHK紅白歌合戦の出場者の発表がありました。

私が日頃から関心を寄せていた「トイレの神様」、植村花菜さんの歌が選ばれたのです。
嬉しい想いが駆け巡りました。
そして有難い想いも。

会社によってはトイレ掃除を社員に率先してさせるところもありますし、私の知人の社長は朝早くから会社のトイレ掃除を自分の日課として実践している方もいます

「日本は何処にでも神様がいた」と過去形にしたのには訳があります。

子どもたちがそこらじゅうにおしっこをすると、「そこには神様がいる」と諭され、悪い事をしようとすると「神様が見ておられる」注意をされたものです。

水の神様、
火の神様、
お天道様、
地方によっては、田の神様、
日本には昔から「八百万(やおよろず)の神様」が存在したものです。

あらゆる自然の物質、様々な自然現象に対してもそうでした。

それらの神々は、時には崇敬の念を持って感じ取られ、時には恐れおののく対象でもあり、大切にしなくてはいけない対象でもあったのです。

人も亡くなったら、神格化し、あるいは仏となって大切な存在として崇められ、尊敬を集める対象であったものです。

「山ノ神」は最近違った意味に使われますが。

子どもたちにもそんな事を口にする機会が少なくなりました。
或いは皆無と言っても言い過ぎではなさそうです。

日本古来の神道は、私どもの心の真髄にしみこんでいた筈なのですが。

日本古来のあり方、日本人が歴史的に培ってきた国民性や特筆すべき文化も戦後の様々なあり方の影響を蒙って何処かへ置き去りにしてしまいました。

その事に最近気付き始めた方々が多く出て来られているようにも思えますがどうでしょうか。

私自身も最近の近隣諸国のあり方や経済、金融の動き、日本の政治の現状を垣間見た時に私どもが失ってはいけない本来の日本人や日本を今一度思い起こし、再度原点に帰る時期に来たような気がするのです。

余りにも行き過ぎたグローバル化が、それぞれの国々が本来持っていた価値観や国民性が忘れ去られ、画一化し自国が本来大切にすべき文化までもが捨て去られそうになっています。

江戸末期に来日をした諸外国の人々が賞賛した日本や日本人の素晴らしさを、今一度研究をしなくてはいけないようです。

その一つが、「日本は何処にでも神様がいた」という考えではないでしょうか。


『我事において後悔せず、神仏を尊び神仏を頼まず。宮本武蔵』


『われわれが進もうとしている道が正しいかどうかを、
神は前もっては教えてくれない。アインシュタイン』



Posted by misterkei0918 at 00:06│Comments(0)
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