2010年11月22日
他人の目を通して自分を見ている
他人の目を通して自分を見ている
「人の目は気にした方がいい」というタイトルのブログを書きました。
有難いものです。
こんなコメントを頂きました。
「人の目だと思っているものは、実は自分の物の見方であったりすることはよくあります。
他者を通じて、そういった自分の見方を再確認していくことで、世界観が広がっていくように感じます」
そうなんです。
他人が見ていると思いがちですが、実は他人の目を借りて自分が見ていることがよくあるのです。
専門的な言い方があるのかもしれませんね。
心理学を研究されている方が若しおられたら教えてくださいませ。
私もそうですが、人の目は気になるものです。
「人が見ている、人に見られている」と思っていることが実は人は少しも私の事を見ているわけでもなく、気にしているわけでもない、意識なんかしていない・・・・・そんな事が良くあります。
自意識過剰というのか。
でも、それは全ての人が経験する事で決して特別な事でもなさそうですよね。
過剰になることがいけないのであって。
逆に頓着の無いのも困りものです。
全く、人の事が気にならない、意にしないというのか、そういう人もおられます。
しかし人間ですから、やはり人の事は気にして欲しいものです。
意識したり、人の振りみて我が振りを治すくらいの甲斐性はあって欲しいとおもいます。
鉄面皮だったりすれば別ですが。
他人の目を借りて自分を見ることであっても、
純粋に人の目を気にするであってもそのことが向上心に繋がったり、努力をする源泉であったり、いい方向に昇華される事が一番大事なことであって、それが歪になったり、萎縮したり、過度の緊張を呼んだりする様では困りものです。
人を意識する事が、却って人への関心を呼び、人の心の中へ自然と飛び込む縁になれば最高でしょう。
「人の目は気にした方がいい」というタイトルのブログを書きました。
有難いものです。
こんなコメントを頂きました。
「人の目だと思っているものは、実は自分の物の見方であったりすることはよくあります。
他者を通じて、そういった自分の見方を再確認していくことで、世界観が広がっていくように感じます」
そうなんです。
他人が見ていると思いがちですが、実は他人の目を借りて自分が見ていることがよくあるのです。
専門的な言い方があるのかもしれませんね。
心理学を研究されている方が若しおられたら教えてくださいませ。
私もそうですが、人の目は気になるものです。
「人が見ている、人に見られている」と思っていることが実は人は少しも私の事を見ているわけでもなく、気にしているわけでもない、意識なんかしていない・・・・・そんな事が良くあります。
自意識過剰というのか。
でも、それは全ての人が経験する事で決して特別な事でもなさそうですよね。
過剰になることがいけないのであって。
逆に頓着の無いのも困りものです。
全く、人の事が気にならない、意にしないというのか、そういう人もおられます。
しかし人間ですから、やはり人の事は気にして欲しいものです。
意識したり、人の振りみて我が振りを治すくらいの甲斐性はあって欲しいとおもいます。
鉄面皮だったりすれば別ですが。
他人の目を借りて自分を見ることであっても、
純粋に人の目を気にするであってもそのことが向上心に繋がったり、努力をする源泉であったり、いい方向に昇華される事が一番大事なことであって、それが歪になったり、萎縮したり、過度の緊張を呼んだりする様では困りものです。
人を意識する事が、却って人への関心を呼び、人の心の中へ自然と飛び込む縁になれば最高でしょう。
Posted by misterkei0918 at 23:41│Comments(0)