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2010年11月08日

いつ如何なる時でも

いつ如何なる時でも

難しい時代になったものです。

企業でも普通ではなく。何処かで秀でている人間でなくてはいつ自分の立場を失ってしまうかもしれません。

昔、「生き馬の目を抜く」という言葉がありましたが、今ほど当てはまる時代は無いようです。

また、一旦失業してしまうと余程訴える能力が存在しないと重宝はされない時代です。

採用はされても、それなりのポジションを得る事は大変な事であり、人並み以上を今ほど要求される時代は無かったでしょうし、これからもそんな状況は続くでしょうし、或いは加速していくのかもしれません。

若しかすると油断大敵、足元を掬う輩も出没するものです。
しかも手練手管を巧みに使って。

こんな時代であれば、
どんな時でも自分の人間性に磨きをかけ、
研究や勉強に時間を惜しまず、
人間関係の構築に心を砕く・・・

そんな考えを若い頃から持つことが大事と思われます。

私のように馬齢を重ねてからでは「時既に遅し」。

今頃になって「如何なる時でも」等といっていると所詮体に影響が出てくるか、精神が不安定状態になってしまうか。

あるプロスポーツマンが言っています。
「我々は体を酷使し、時間を惜しみ、苦しみぬいて自分の地位を確立しようとする」
「ところがサラリーマンは企業に就職した途端、努力を忘れ、時間を浪費する」
「取り分け、アフターファイブに神経を使い過ぎる」

彼が言うには、サラリーマンが我々と同じ様な気持ちで努力するなら必ず人並み以上の人間になると言います。

言われてみるとそうですね。

企業という微温湯(ぬるまゆ)に浸かり、自らが茹で蛙に好んでなっていると言うのです。

考えてみました。
20歳から80歳まで、一日一時間を何かの為に使ったとしたら、累計22,000時間を生み出す事になります。

22,000時間は日に換算すると900日。
とんでもない時間です。

浪費の1時間にするか、人生を豊に出来る1時間にするか。
人によっては、酒を飲んでいるほうが余程生産的という発想の人もいるかもしれません。

でも1時間ですから、酒を飲んでも1時間を作れないことは無いでしょう。
例えば、友人と10時まで飲んだら、家に帰って十分に1時間は確保できるはず。

或いは、友達付き合いがより大事といっても、毎日夜中まで付き合っている訳ではないでしょう。
1時間は事も無く、取れるはず。

上手なものです。
出来ない理由、やらない理由作り。

私も年は重ねても、今からでも「如何なる時でも」の気持ちを持って挑戦的に頑張ってみたいものです。
老骨に鞭打ってでも!!



Posted by misterkei0918 at 21:49│Comments(0)
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