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2010年11月04日

誰でも脛(すね)に傷がある?

誰でも脛(すね)に傷がある?

つまり、性悪説なんでしょうか、しきりに知人が話します。

「人間は誰でも、一つや二つは悪い心を持っている」
「誰でも脛に傷を持っている」
「悪い事をしていない奴など世の中には存在しない」

あながち完全否定は出来ませんが、その考えが嵩じると自己肯定になり、「誰もがやっているから、或いは考えているから少々悪い事もやって構わない」・・・「であれば少々のことは悪い事でもやって良い」などの考えに飛躍してしまいます。

若しかして、常時こんな事を口にしているとしたら自らをそんな人間に、しかもその深みに引き摺り下ろしているようなものです。

口にしている人を見ると、基本的に本人がそんな人なんですよね。

私も悪い考えや欲が無いわけではないと思うのです。
自分の胸に手を当ててみればそれが十分に分かるものです。

だからこそ、人間なのでしょう。

欲得や煩悩にまみれている人間だからこそ、苦悩があり、葛藤や善悪の狭間で苦しむのです。

であればこそ、そうであってはいけないとか、
乗り越えようとする修行、訓練、練磨、或いは精進があるわけで、そのことを最初から肯定してしまうこと事態が、乗り越えようとする人本来のあり方を否定しようするもので、如何にもそうであることが生身の人間であるかのように感じてしまいます。

「人は、元来悪い事を憎み、それに手を染めるようにはなっていない」と思っていたほうが万事上手くいくような気がします。

ネガティブなのか、ポジティブなのかという話にも似て、物事は良いほうに、陽気に考えているほうが人付き合いの方もスムースですし、より優性的であるような気がします。

人を見る目もそうですよね。
「あいつは何かしそうだ」とか
「何か企んでいる」とか
「元来悪い奴」


などと思っていては、親友など出来はしないでしょう。
いつも心の中では詮索をする結果にもなってしまいます。

表向きは、善意の表情をしていながら腹の中には、一物を持っているなんて嫌ですよね。

「人は生まれつき、いい物を持っている、正直に出来ている、正しい心をもっている」と信じていたほうがいいのです。



Posted by misterkei0918 at 22:30│Comments(0)
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