2010年08月16日
親不孝物が語る先祖を弔う話
親不孝物が語る先祖を弔う話
ご先祖様のお里帰りの季節です。
彼の地から、この世へ年に一度お見えになるご先祖の方々の為に心からお迎えをする心構えは果たして出来ていたのでしょうか。
道に迷わないように灯明を点し、門や入り口には提灯を下げ、お仏壇にはお供えをし、お線香を絶やすことなく弔い、お迎えをしなくてはいけなかったのですが。
今年もほんの形だけになってしまいました。
普段はご先祖様の恩恵を頂きながら、その思いを形にする事さえも十分に出来ないでいるのです。
ついぞ昔からのしきたりや、常識をすっかり忘れてしまいましたし、大事なところを十分に学ぶ事さえ忘れてしまっています。
「お仏壇に手を会わせて育つ子に悪い子はいない」とか、
「お仏壇を置いて、ご先祖様を大事にしている家庭に不幸は来ない」とも。
両の手を胸の前で合わせる行動は先祖を敬う態度であり、自らの家族や地域、社会を大事にし、自分の心身の健康を守るしぐさの様であります。
どうも普段からのそんな行動が、心の中に染み入っている事が大事なんでしょうね。
それが手向けられたお線香の光と香り、蝋燭の光の前でならば尚更のことかもしれません。
私のように、親不孝者は幾らご先祖様を大事にしようが元来、建前がなっていないのですから困ったものです。
ご先祖様を崇拝する前に、親孝行が先立たないといけません。
だって、親はご先祖様方への道であって、避けては通れないものだから。
親を置き去りにして、不幸の限りを尽くしておいてご先祖様など崇拝する事も可笑しいですが、増してやご先祖様だって会ってはいただけないでしょう。
人の道を踏み誤っていながら、飛び越してご先祖様にあやかろうなどという神経がそもそも赦されるものではありません。
もうお盆も過ぎ去ろうとしています。
ご先祖が心置きなく安堵の心で彼の地へ旅立っていけますように、十分な反省と誓いをしなくてはいけませんね。
Posted by misterkei0918 at 18:04│Comments(0)