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2010年06月30日

米粒の見当たらないお粥

米粒の見当たらないお粥

最近の若い方々はお粥と言ってもピンとこないかも知れませんね。

今どき上品に言えば、何とかスープ等と言うのかも知れませんね。

また、「白いご飯」等の表現も怪訝(けげん)に思われるかも。

戦後は裕福な家庭やお米農家ならいざ知らず、白いご飯を満足に頂けるなど想像に難いものでした。

お米を作っている農家でも、貴重でしたから自分の口に入れる前に現金に変える事が大事だったのです。

私が幼い頃は、母と離れて祖父母の家庭で育ちました。

田畑も多く所有し山間の木材や椎茸栽培、或いは漁業もしていましたので周りよりは比較的恵まれていましたし、お米も作っており脱穀精米まで自家で処置していましたので、当時としては貧しい思いをしたことはなかったような気がします。

その後、祖父母と離れて以降は、母との二人暮らしになりましたが記憶の中には満足に白いご飯を見た記憶はありません。

病弱な母は入退院を繰り返し、私一人でご飯を炊き、具のない味噌汁を作って寂しく一人で食事をしていたものです。

小さい頃は当然、上手に食事など作れるわけがありません。
隣の大家さんが、時々は不憫に思われて様子を見に来てくれたものです。

それでも寂しい時には母の病院に出かけ、母のベットの下に寝かせていただきました。

当然、許されていないことでしたので看護婦さんが気を利かせて内緒にしてくれていましたし、しかもお目こぼしをしてくれていたようです。

その病院から小学校へ通学したのを今の事のように記憶しています。

当然。生活保護の世帯でしたので満足な生活は出来ません。

その生活保護費の金額も当時は極めて少ないものでしたし、貰うにも恥ずかしい、悔しい思いもしたものです。

当時は、受け取るのに市役所?か福祉事務所の前の道路に向いた入り口に列んで受領をしていました。

友達や知人が傍を通りますので、子供ながらに悔しかったものです。

当然、自宅でのご飯はお粥。
ご飯粒がどこにあるのだろうかと思うほどのお粥でした。

それでも一人美味しく頂いたものです。
おかずはありませんから、醤油をお粥に掛けたり、お味噌と食べたり。

今であれば、とんでも無い食事でしょうね。

当時は生活保護を受けると、テレビも置けない、高校にも進学できない状況でした。

私の高校進学にも一悶着ありましたので、またの機会に。

でも、当時はそれが当たり前だったんです。
三食食べられるだけでも良かったんですから。

懐かしい思い出です、時代はそんなに昔ではないのですが。



Posted by misterkei0918 at 09:38│Comments(0)
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