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2010年06月29日

愛は過ぎると憎しみに変わる

愛は過ぎると憎しみに変わる

子育てで最も困るのは、過剰な愛情を注ぎすぎることではないでしょうか。

所謂、溺愛・過干渉というもの。

放任もいけませんが、むしろ溺愛、過干渉から比べればまだましと思えます。

子供は親から見放されても、或いは私のようにノー天気な親父であっても逞しく健気けなげ)に生きてゆくものですが世の中で様々なトラブルや想像を超えた事件を犯す人間の多くが、哀しいかな幼児の頃の教育や家庭環境、子育てに象徴されるようです。

過ぎた愛情は、時として形を越えてとんでもない行動や犯罪をも誘発し、世間を驚かせる事態もしばしばです。

ストーカー行為なども、最初から犯罪的な行動ではなく愛情の発露として結果的には嫌われる行動になってしまうものが大半でしょう。

「可愛さ甘って憎さ百倍」などといいますが、事実そんなところがありますよね。

殆んどの皆さんが経験しているのではないでしょうか。

愛するが故に求めるものも大きいですし、期待も大きく膨らんでしまいます。

それだけに、思うようにならない歯がゆさや、もどかしさが、攻守形(こうしゅ、かたち)を変えた時の反動の大きさはどうにもならないほどに、感情を揺さぶってしまうものです。

こんな事を考えてみますと、余りにも過度な気持ちの入れ込みは決して良くはなさそうです。

日常の色んな事でも言えることがあるのかも知れませんね。

余りにも気を入れこみすぎるとか。足元を見失うほどに没頭してしまうとか。

修羅場や憎悪に満ちた関係は、修復は不可能ですし、例え戻ったとしてもそれはどこかに傷跡を引きずっているものです。

愛情もそうですが、深みに入りそうな予感ってあるものです。

そんな時のために、余り過度の執着をしない訓練や人間の尊厳、人の心の痛み・・・など、また人を愛する多くの機会を持つことも大事なのではないでしょうか。

そうですね、
人を愛したり、愛されたりの経験や心のキャッチボールをなるべく多く経験することが良さそうです。

そんなところから、健全な人との関わりの大切さや相手の心への踏み込み方を学ぶのかも知れません。

「過ぎたるは、及ばざるが如し」
私も明日から心して、日常を過ごしたいものです。


『どんなにその人を愛していても、その人のためにすべてを犠牲にしてはならない。
なぜなら、必ず後で、その人を憎むようになるからだ。曾野綾子』



Posted by misterkei0918 at 18:52│Comments(0)
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