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2010年06月07日

自慢の父親でありたいと願っている

自慢の父親でありたいと願っている

昨日は「最愛の夫でありたい」等と欲張ったブログを書きました。
それを多分、身の程知らずと言うのでしょう。

自分の夫としての技量や果たした役割、存在価値などは分からないものです。
欲張って、自己評価のみはしっかりしますから過大評価や尊大な自己をつい夢見てしまいます。

相手がどう見ているかを考えたら、自ずからそこに無理が生じていることを悟らないといけませんね。

反省です。

ついでにこんなことまで考えてしまいました。
「自慢の父親でありたい」

子供達には馬鹿な事を考える父親だなと後ろ指をさされそうですが、もうここまで書いてきたのですから、事のついでと許してくれることを乞い願って。

誰しも子供達から蔑(さげす)まれる父親、疎(うと)まれる父親にはなりたくはありませんし、そのような評価を下すとしたら多分、その責任を子供達の精にしてしまう父親が多いのではないでしょうか。

それがイケないのですよね。

若しもそのような評価が下っていたとしたら、素直に自己責任を認め、反省をし、しかも謝る。

所が男は謝ることに、絶対的な嫌悪感を持っていますからそれはないでしょうね。

一生、蔑まれる父親であり続けるのか、疎まれる父親を続けるのか。

「あの父親なら要らなかった」とか、
「あの父親がいなかったら、今頃はいい意味で異なった人生を歩んでいた」等と言われるとこれは大変な汚点です。

それこそ存在さえも否定されかねない状態です。

日頃からの姿勢なんでしょうね。
子供達に媚びへつらう様な父親はいけません。

むしろそれは子供の成長にマイナスの効果を持たらしてしまいます。

父親は毅然として、事の真実を見つめ、悪には敢然として立ち向かい、家庭のリーダーとして、大黒柱としてその存在を確立しておかねばいけないと思います。

とは言いながら、大変に難しいことですが。

でも、少なくとも「自慢の父親だった」程度は評価をして欲しいですね。

生きているときの男は常に今の自分に挑戦的で、周りに優しい心配りなどは気がつきませんしそんなゆとりや素振りも無いものです。

この世から去る時がどうも一番の勝負時に思えるのですがどうでしょうか。

その時のために粉骨砕身、逞しく、真摯に生き抜きたいものです。

夢のような事を語ってしまいました。


『父親は、最も厳しく叱る時も、言葉はきついが父親らしいそぶりを見せる。ギリシア』


『世界で一番有能な教師よりも、分別のある平凡な父親によってこそ、子供は立派に教育される。ルソー(仏・思想家)』



Posted by misterkei0918 at 19:33│Comments(1)
この記事へのコメント
素晴らしい…
うちの別れた旦那もあたなのように考えられる人だったら今ごろ、一緒に同じ空間を生きているでしょう!

残念ながら、心のない、動物的な、そして、自己中心的な方だったので、10年ももちませんでした…

そして、今、子どもに連絡もせず、淡々と生きています…
だけど、何ヵ月ぶりに連絡があったと思ったら、上から目線の上っ面ばかりの態度をとります…

私はいいのですが、子どもにとっては父親ですから…

まともな血を引かせてあげたかった…
Posted by ショウ at 2010年06月07日 19:51
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    コメント(1)