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2010年06月07日

最愛の夫でありたいけど

最愛の夫でありたいけど

自慢の夫になる必要はありませんが、せめて口には出さなくても心のなかで「最愛の夫だったね」くらいは呟いてもらえるような夫でありたいと願う旦那衆は私一人ではないでしょう。

どうせ先立つのは男が殆んどですから、残った妻から「あ、清々した!!」等と言われないようにその日まで毅然として、頼りにされて、介護の苦労などはさせないで終わりたいものです。

あるいは「もう少し頑張って欲しかった」等と。

夫婦のあり方は決して一様ではありませんし、お互いのあり方はそれぞれの夫婦で話し合い、若しくは年月の中で自然と醸成されるものですから、一言では語れないことは当然です。

私のあり方は私であって、それは私共が作り出した夫である私の存在であります。

あの人のようにありたいとか思うことはありますが、取り巻く環境や生まれた子供達との関わり、務める企業や地域、所得や日常の行動体系、受ける教育などによっても単純ではありません。

ましてやそこに妻という相手が存在し、彼女の有り様がまたそれぞれに異なることですから目標とする人にはなかなかならないものです。

多分、日常的にそんな事を考えながら生活をしているわけではありませんが、時々は自らの夫である立場やあり方を見つめ直す時間があっても良さそうです。


今の自分でいいのか、
果たして妻に対して居心地の良い家庭を築けているのか、
将来にわたって安定的で心休まる家庭を保証出来る環境を作っているのか、

お互いが信頼を築ける環境を作っているのか、
お互いがお互いの人生を高めあえる状況なのか、

出来れば最愛の夫であるのか・・・・・


一言で夫婦と言っても、自分の親以上に、しかもわが子たち以上に長い年月を共にします。

それは長い人になると、60年も70年連れ添うのですから甘いも酸いも、凪も荒波も経験をしていますからそれぞれの人間性や考え方、思想信条までも全て飲み込んでしまうものです。

後悔をしてみたり、半信半疑の時期が会ったり、不信感を持たれたり、頼りないと思われたり、絶対絶命の危機の瀕したり、様々な経験をするものです。

その原因の殆どは夫の方ですが。

阿吽の呼吸とか、以心伝心とか。

老夫婦が言葉少なく連れ添っている姿を見ていると「もう話すことが無くなった」と思いがちですがそれは違いますよね。

そこまでになると「話さなくてもお互いが考えていることくらいは既に伝わっている」と判断するのが正しいでしょう。

そうでないとしたら夫婦としてどうなんでしょうか。
話しても良し、話さなくても良し。

話せばお互いの思いを改めて確認していることでしょうし、話さなければ既に意思が疎通しあっていると言うものです。

最愛の夫である事は難しいとすれば、「少なくとも傍に頂けでも良かったね」
或いは「生涯、連れ添えて良かった」位の評価は頂きたいものです。



Posted by misterkei0918 at 18:56│Comments(0)
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