2010年05月19日
検閲の理不尽さと恐怖
検閲の理不尽さと恐怖
私ども戦後の生まれは検閲などと言う言葉とは大よそ無縁な時代で育ちました。
時の政治権力が、国家権力を傘にきて、国民の信条や思想を封じ込めようとする手段であって、また自由な言論や人々の自由な交わりを制限しようとするものであります。
生まれて此方、自由奔放な世界で生まれ育ち、自由と責任を履き違えている私どもにしてみれば大よそ想像さえも及ばないものです。
それであればこそ、奔放な自由の恐ろしさや責任の所在の大事さを学んできたものです。
逆に、若し検閲などと言う理不尽な行為に出くわしたならそれこそ暴動や狂乱の渦が沸き上がってしまうかも知れませんね。
ネット上で今日の出来事を見ていましたら、
2009年の5月19日はネット上の検閲を始めると中国当局が国民に通達した日とのこと。
私ども日本人にはとても理解できない出来事です。
個人としては、そんな事もあり得るのかなとか思う時もありますが、国や政治、社会的な規制としてあってはいけないことでしょう。
国を守る、国民を守るとの大義名分を掲げ、如何にもそれが正当であるかのように論じるのはいけません。
その事が人権を無視したり、人命を危険に陥れたり、尊厳を損なうようなことは慎まねばいけませんが。
その事は情報化社会で生きる国民の権利や情報収集の自由を奪うもので、言論の自由さえも束縛するものになってしまいます。
ソフトの名前は、
緑壩・花季護航(リューパー・ホワチーフーハン、りょくは・かきごこう)。
中華人民共和国で開発されたコンテンツ・フィルタ。
英語名はグリーン・ダム・ユース・エスコート (Green Dam Youth Escort) 。
『2009年7月1日から、中国情報工業化部が、中華人民共和国国内で販売されるパソコン(輸入品を含む)には、緑壩をプリインストールすることが義務付けられている。
ただし、義務付けられるのは新たに販売されるパソコンだけで、既存のパソコンへのインストールは任意である。アンインストールするのも自由であるとされている。
公式見解では、政治的な意図はなく、青少年を性的なコンテンツから守ることが目的であるとされている。ソフトの名称も、その見解を反映している』
民主主義に向かう国であろうとするならば、もっと考えることは他にあったようにも思えます。
時の権力に、自由に物が言える環境。
自己責任をわきまえられる国民の資質を養うには、権力で抑えるのではなく自らが体得できるような環境を作ってあげることではないでしょうか。
お上からの押さえつけは結局は自らの破滅を招いてしまいます。
幾つもの歴史が証明しています。
最近のgoogle問題もそうですよね。
北朝鮮では今でも、手紙の検閲がなされているとも聞きます。
身近な例で言えば、子どもがそうです。
抑圧された子供は、いじけた性格になり易く、何事も自信が持てず、しかも性格的には弱い筈なのですが自分の子供や弱い他人を抑圧することに罪悪感を感じないことが多いものです。
親から虐められた子供に限って、自分に生まれた子供の虐待に走ったりするものです。
また、こんな事もよく見受けます。
自分が幼い頃に出来なかったことは、子供にもさせない傾向が強い。
逆だと思うでしょう?
自分が幼い頃に出来なかったことは、せめて子供には経験させたいと思いがちですが。
出来れば、自由で豊かな社会に何処の国でもなって欲しいものです。
私ども戦後の生まれは検閲などと言う言葉とは大よそ無縁な時代で育ちました。
時の政治権力が、国家権力を傘にきて、国民の信条や思想を封じ込めようとする手段であって、また自由な言論や人々の自由な交わりを制限しようとするものであります。
生まれて此方、自由奔放な世界で生まれ育ち、自由と責任を履き違えている私どもにしてみれば大よそ想像さえも及ばないものです。
それであればこそ、奔放な自由の恐ろしさや責任の所在の大事さを学んできたものです。
逆に、若し検閲などと言う理不尽な行為に出くわしたならそれこそ暴動や狂乱の渦が沸き上がってしまうかも知れませんね。
ネット上で今日の出来事を見ていましたら、
2009年の5月19日はネット上の検閲を始めると中国当局が国民に通達した日とのこと。
私ども日本人にはとても理解できない出来事です。
個人としては、そんな事もあり得るのかなとか思う時もありますが、国や政治、社会的な規制としてあってはいけないことでしょう。
国を守る、国民を守るとの大義名分を掲げ、如何にもそれが正当であるかのように論じるのはいけません。
その事が人権を無視したり、人命を危険に陥れたり、尊厳を損なうようなことは慎まねばいけませんが。
その事は情報化社会で生きる国民の権利や情報収集の自由を奪うもので、言論の自由さえも束縛するものになってしまいます。
ソフトの名前は、
緑壩・花季護航(リューパー・ホワチーフーハン、りょくは・かきごこう)。
中華人民共和国で開発されたコンテンツ・フィルタ。
英語名はグリーン・ダム・ユース・エスコート (Green Dam Youth Escort) 。
『2009年7月1日から、中国情報工業化部が、中華人民共和国国内で販売されるパソコン(輸入品を含む)には、緑壩をプリインストールすることが義務付けられている。
ただし、義務付けられるのは新たに販売されるパソコンだけで、既存のパソコンへのインストールは任意である。アンインストールするのも自由であるとされている。
公式見解では、政治的な意図はなく、青少年を性的なコンテンツから守ることが目的であるとされている。ソフトの名称も、その見解を反映している』
民主主義に向かう国であろうとするならば、もっと考えることは他にあったようにも思えます。
時の権力に、自由に物が言える環境。
自己責任をわきまえられる国民の資質を養うには、権力で抑えるのではなく自らが体得できるような環境を作ってあげることではないでしょうか。
お上からの押さえつけは結局は自らの破滅を招いてしまいます。
幾つもの歴史が証明しています。
最近のgoogle問題もそうですよね。
北朝鮮では今でも、手紙の検閲がなされているとも聞きます。
身近な例で言えば、子どもがそうです。
抑圧された子供は、いじけた性格になり易く、何事も自信が持てず、しかも性格的には弱い筈なのですが自分の子供や弱い他人を抑圧することに罪悪感を感じないことが多いものです。
親から虐められた子供に限って、自分に生まれた子供の虐待に走ったりするものです。
また、こんな事もよく見受けます。
自分が幼い頃に出来なかったことは、子供にもさせない傾向が強い。
逆だと思うでしょう?
自分が幼い頃に出来なかったことは、せめて子供には経験させたいと思いがちですが。
出来れば、自由で豊かな社会に何処の国でもなって欲しいものです。
Posted by misterkei0918 at 22:32│Comments(0)